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よのうちは松にも露はかゝりけり
明くれば消ゆるものこそ思へ

歌の意味
夜のうちは松にも露はかかっていたのだった。明ければ消えてしまうものだと、思い知ることだ。
鑑賞
 四月になった。十日ごろから、また五月十日ばかりまで、たいそう不思議に具合の悪いころなのだ、といって例のようにも通わない。七八日は大殿にいて我慢していたが気がかりで、などと言い、夜のうちならばと思うけれど、こんなに苦しくて内裏へも参らないのに、こうして出歩いていたと見られるのも具合が悪かろう、と言って帰りなどした人が、使いをよこしたと聞くにつけ、待つ時ばかりが過ぎてゆく心地がする。不審に思って、人知れず今宵を試してみようと思ううちに、しまいには消息さえなくて久しくなった。珍しく不思議なことだと思うけれど、素知らぬふうを装って過ごす。夜は世間の車の音のたびに胸がつぶれ、時々は寝入って、もう明けてしまったのかと思うにつけ、いっそうあきれる。幼い人が通っては様子を聞くけれど、実のところ何ということもないらしい。どうかとさえ尋ねもしないという。まして、こちらからどうして不審だなどと言おうかと思いつつ暮らし明かして、格子などを上げるときに外を見やると、夜のうちに雨が降った様子で、木々に露がかかっている。それを見るなり、心に浮かんだのがこの歌である。
 作者は藤原倫寧の娘。兼家は藤原師輔の三男で、のちに摂政関白太政大臣に至る。幼き人は作者の子の藤原道綱で、父のもとへ通っては様子を聞いてくる。
 天禄元年五月のことで、場所は作者の住まいである。
 消息さえないまま久しくなり、夜通し車の音に胸をつぶしながら明かして、格子を上げるときに外を見やると、夜のうちに雨が降った様子で木々に露がかかっていた。それを見るなり心に浮かんだ歌である。
 誰かに贈られたものではなく、心のうちにとどまった。このあと小野の宮の大臣の薨去を口実に訪れは絶え、絶え間はいっそう長くなる。

 初句の「よのうちは」の「よ」は夜であるとともに世を掛けた語で、夜のあいだという意と、この世に生きているあいだという意とが同時に働く。二句の「松にも露は」の「まつ」は松の木であると同時に待つを掛けており、この一語が歌の要にあたる。松に露がかかるという目の前の景が、待つ身にも頼みがかかるという心の話へ折り返す。三句の「かゝりけり」の「けり」は気づきをあらわし、夜のうちには確かにかかっていたのだと今知る調子になる。四句から結句の「明くれば消ゆるものこそ思へ」は、夜が明ければ消えてしまうものだと思い知る、の意で、「こそ」の結びが感慨を強める。待っているあいだは望みもかかるが、朝になればそれも消えるという理屈で、一晩じゅう車の音に胸をつぶしながら明かしたという地の文が、そのまま歌の内容になっている。景物は雨上がりの露一つだけであり、そこに夜と世、松と待つという二重の掛詞を仕込んで、絶え間の長さを言わずに言いあらわしている。

よ:「夜」に「世」を掛ける。
まつ:「松」に「待つ」を掛ける。
露(つゆ):はかない頼みのたとえ。
作者
藤原道綱母
出典
蜻蛉日記
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