よろづよを野べのあたりに住む人は
めぐるめぐるやあきを待つらむ
- 歌の意味
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万世を、野辺のあたりに住む人は、めぐりめぐって秋を待つのだろうか。
- 鑑賞
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八月になった。そのころ小一条の左大臣の御賀といって世間が騒ぎ立てる。左衛門の督が御屏風のことをなさるというので、歌など詠むはずもない伝手を計らって責められることがある。絵の場面の所々を書き出したものを与えられるのである。たいそうしらじらしいことだといって何度も返すけれど、しきりに無理を言われるので、宵のうち、月を見る合間などに、一つ二つと思案して作った。以下、絵の場面ごとに詠んだ歌が続く。こうしてつまらないことに、しかも多くの数まで強いて作らされ、これらのうち、いざり火と群千鳥との歌が採られたと聞く。
作者は藤原倫寧の娘。小一条の左大臣も、御賀を営む左衛門の督も、原文は官職と邸の名で示すのみで人名を記さない。底本の傍注は前者を藤原師尹、後者を藤原済時とする。屏風歌は屏風に描かれた絵の場面に添えて記すための歌で、絵の内容をあらかじめ書き出したものを与えられて詠む。
安和二年八月のことで、場所は作者の住まいである。
女車が紅葉を見に出たついでに、また紅葉の多い人の家へ来た、という場面を描いた絵に添えるための歌で、九首の最後にあたる。
地の文は、こうしてつまらないことに、しかも多くの数まで強いて作らされ、これらのうちいざり火と群千鳥との歌が採られたと聞く、と記して屏風歌の一連を締めくくる。
初句の「よろづよ」は万代、すなわち限りなく長い年月のことで、賀の歌に用いられる語である。これを冒頭に据えることで、紅葉見という日常の場面をただちに祝いの枠へ入れている。二句の「野べのあたりに」は絵に描かれた家の在り所を言い、三句の「住む人は」でその家の主に話を向ける。四句の「めぐるめぐるや」は畳語で、季節がめぐりめぐることと、紅葉を見て歩きめぐることとの両方を含み、この重なりが歌の運びを作る。結句の「あきを待つらむ」は推量で、秋を待っているのだろうか、と結ぶ。毎年めぐってくる秋を万代にわたって待ち続けるという言い方によって、紅葉を待つ楽しみがそのまま長寿の願いになる。九首の最後に置かれ、季節がめぐるという主題を、初句の万代と結句の秋とで挟み込む形にまとめている。
よろづよ:万代。限りなく長い年月。
めぐる:季節がめぐる。また、歩きまわる。
- 作者
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藤原道綱母
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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