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吹く風につけてもものを思ふかな
大海の浪のしづこゝろなく

歌の意味
吹く風につけても物思いをすることよ。大海の波のように、静かな心もなく。
鑑賞
 不審だ、どうしたことかと思う。風が吹き荒れるころに詠み贈ったところ、申し上げるべき人は今日のことを知っておりまして、と、別人の筆跡で、葉の一枚ついた枝につけて返してきた。折り返し、お気の毒に、などと言って詠み贈った。この歌が日記に記された最後の一首である。年の内は大きく荒れることもなく、はだら雪が二度ほど降った。佐の元日の装束の支度や、白馬の節会に着るものなどを調えているうちに、年の暮れる日になった。明日のものを人に任せなどして思えば、こうしているうちに大晦日になってしまったのもあきれたことで、御霊のことなどを見るにつけても、例のとおり尽きせぬ思いに沈みきって年は果てたのだった。年の果てであるから、夜がたいそう更けてから門を叩く音がする。
 作者は藤原倫寧の娘。佐は作者の子の藤原道綱。相手の女は、原文に人名の明示がない。白馬の節会は正月七日に白馬を見る行事である。この日記は天暦八年から天延二年までの二十一年を記し、この年の暮れをもって終わる。
 天延三年の正月ごろのことで、場所は相手の女の家である。
 千年を経る松もあるのに、と返してきた女の歌を、佐は不審だ、どうしたことかと受け取った。そして風の吹き荒れるころに詠み贈った歌である。
 これに対して、申し上げるべき人は今日のことを知っておりまして、と、別人の筆跡で、葉の一枚ついた枝につけて返してきた。

 初句の「吹く風につけても」は、吹く風につけても、の意で、風が吹くたびに心が動くことをいう。二句から三句の「ものを思ふかな」は詠嘆で、物思いをすることよ、と結んでいったん切る。四句の「大海の浪」は大きな海の波のことで、この贈答が浜と波の語で続いてきた流れをここでも受け継ぐ。ただし、これまで用いられてきた沖の白波や寄せる波が、越すか越さないかという一点をめぐる語であったのに対し、ここでは静かでない心のたとえとして持ち出されており、語の働きが変わっている。結句の「しづこゝろなく」は、落ち着いた心もなく、の意で、風に立ち騒ぐ波と、静まらない自分の心とを重ねる。相手の返事が意を得ないものであったことを受け、問い詰めるのでも訴えるのでもなく、ただ心の乱れだけを述べる形になっており、応酬としては一段引いた調子になっている。風の吹き荒れるころという実際の天候が、そのまま心の景として用いられている。

おほうみ:大海。広い海。
しづ心:落ち着いた心。静かな心。
なみ:波。
作者
藤原道綱
出典
蜻蛉日記
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