さもこそは浪の心はつらからめ
としさへ越ゆるまつもありけり
- 歌の意味
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いかにも波の心はつれないのでしょう。けれども、年までも越えて待つ松もあったのだった。
- 鑑賞
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このたびも返事がない。どうしたことであろうと思ううちに、こうして言い寄る人が大勢あるらしいと聞く。それでこうなのだろうと思って詠み贈ると、返事があった。年が改まってまた詠み贈り、それにも返しがあった。
作者は藤原倫寧の娘。佐は作者の子の藤原道綱。相手の女は、原文に人名の明示がない。末の松山を波が越すという古歌は、心変わりのありえないことのたとえとして用いられ、この一連の贈答もその言い回しの上に成り立っている。
天延三年の正月ごろのことで、場所は相手の女の家である。
越しもせず越さないでもない、と返してきた女の歌に対し、年が改まってから詠み贈った歌である。
これに対して女が「千歲經るまつもこそあれほどもなく越えては歸る程やとほからず」と返した。
相手の「浪」「越ゆ」をそのまま受けて返している。初句の「さもこそは」は、いかにもそうなのでしょう、の意の譲歩で、相手の言い分をひとまず認める形から入る。二句の「浪の心はつらからめ」は、波の心はつれないのでしょう、の意で、「こそ〜め」の係り結びが、そこまでは認めるという含みを持たせる。三句の「としさへ」の「さへ」は添加で、越すか越さないかの話にとどまらず、年までも、と重ねる。四句の「越ゆる」は、越える、の意で、波が越すという語を年を越すという意に転じており、この転換がこの歌の眼目にあたる。結句の「まつもありけり」の「まつ」は松であるとともに待つを掛けた語で、年を越えてまで待ち続ける松もあったのだ、と気づきの調子で結ぶ。相手が越すも越さないも定めないまま年を経たと言ったのに対し、それならこちらは年を越えてなお待つのだと応じる形になる。年が改まってから送られた歌であることが、越えるという語に実感を与えている。
なみ:波。人の心の動きをたとえる。
こゆ:越える。年を越す意にも用いる。
まつ:「松」に「待つ」を掛ける。
- 作者
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藤原道綱
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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