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越しもせずこさずもあらず浪よせの
濱はかけつゝ年をこそ經れ

歌の意味
越しもせず、越さないでもなく、波の寄せる浜は、波をかけられながら年を経ているのです。
鑑賞
 このたびも返事がない。どうしたことであろうと思ううちに、こうして言い寄る人が大勢あるらしいと聞く。それでこうなのだろうと思って詠み贈ると、返事があった。年が改まってまた詠み贈り、それにも返しがあった。
 作者は藤原倫寧の娘。佐は作者の子の藤原道綱。相手の女は、原文に人名の明示がない。末の松山を波が越すという古歌は、心変わりのありえないことのたとえとして用いられ、この一連の贈答もその言い回しの上に成り立っている。
 天延二年師走のことで、場所は相手の女の家である。
 私でない人を待つ松ならば、と詠み贈ってきた佐の歌に対する返しである。
 年が改まって、佐は「さもこそは浪の心はつらからめとしさへ越ゆるまつもありけり」と詠み贈る。

 相手の「越す」「浪」をそのまま受けて返している。初句から二句の「越しもせずこさずもあらず」は、越しもせず、越さないでもない、の意で、同じ語を肯定と否定とで重ね、どちらとも定まらない状態を示す。相手が越すな越すなと迫ったのに対し、越したとも越さないとも言わない形で、どちらの答えも与えない構えを取る。三句の「浪よせの」は波の寄せる、の意で、四句の「濱」へかかる。相手が沖の白波を持ち出したのを受け、こちらは波の寄せられる浜の側に身を置く。四句から結句の「かけつゝ年をこそ經れ」の「かく」は波がかかる意であるが、心をかけるという意をも響かせる。波がかかり続けたまま年を経てきた、という言い方によって、言い寄る人があるらしいという噂そのものも、越されも越されなくもないままだと答えることになる。「こそ」の結びが、その年月の長さを強める。責める側に立った相手に対し、越すか越さないかという二者択一を成り立たなくする返し方である。

なみよせ:波の寄せること。
かく:波がかかる。心をかける。
はま:浜。波の打ち寄せる所。
出典
蜻蛉日記
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