千歲經るまつもこそあれほどもなく
越えては歸る程やとほからず
- 歌の意味
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千年を経る松もあるというのに、間もなく越えては帰る、その間は遠くないのではありませんか。
- 鑑賞
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このたびも返事がない。どうしたことであろうと思ううちに、こうして言い寄る人が大勢あるらしいと聞く。それでこうなのだろうと思って詠み贈ると、返事があった。年が改まってまた詠み贈り、それにも返しがあった。
作者は藤原倫寧の娘。佐は作者の子の藤原道綱。相手の女は、原文に人名の明示がない。末の松山を波が越すという古歌は、心変わりのありえないことのたとえとして用いられ、この一連の贈答もその言い回しの上に成り立っている。
天延三年の正月ごろのことで、場所は相手の女の家である。
年までも越えて待つ松もあった、と詠み贈ってきた佐の歌に対する返しである。
佐はこの返しを、不審だ、どうしたことかと受け取る。そして風の吹き荒れるころに「吹く風につけてもものを思ふかな大海の浪のしづこゝろなく」と詠み贈る。
相手の「まつ」「越ゆ」をそのまま受けて返している。初句の「千歲經る」は千年を経る、の意で、松が千年の齢を保つとされることによる。二句の「まつもこそあれ」は「こそ」の結びで、そういう松もあるというのに、と置く。相手が年を一つ越えたことを誇ってみせたのに対し、松ならば千年を経るものだと持ち出し、たった一年を大げさに言う相手をやんわりと笑う形になる。三句の「ほどもなく」は、間もなく、の意。四句の「越えては歸る」は、越えてはまた帰ってくる、の意で、波が寄せては返す姿と、年が越えてはまためぐる姿とを重ねる。結句の「程やとほからず」は、その間は遠くないのではないか、と問う形で、一年など松の千年に比べれば何ほどでもない、という意になる。数の大きさで相手の主張を相対化する返し方であり、断りながらも角を立てない。作者はこの返しを受けて、佐が不審に思ったと記しており、含みの多い言い方であったことがうかがえる。
千歳(ちとせ):千年。長い年月。
まつ:「松」に「待つ」を掛ける。
ほど:間。時間のへだたり。
- 出典
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蜻蛉日記
- その他の歌
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