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かひなくて年暮れはつる物ならば
春にもあはぬ身ともこそなれ

歌の意味
甲斐もなく年が暮れ果ててしまうものならば、春にも逢わない身ともなってしまうだろう。
鑑賞
 古い年のうちに節分をするので、こちらへ、などと言わせて、佐が歌を詠み贈った。返事はない。またさして間を置かず、前世からの縁でもあったのだろうか、重ねて詠み贈った。それにも返事はなかった。
 作者は藤原倫寧の娘。佐は作者の子の藤原道綱。相手の女は、原文に人名の明示がない。節分は季節の分かれ目をいい、この年のように年の内に立春が来る場合は、年が改まらないうちに春を迎えることになる。
 天延二年師走のことで、場所は相手の女の家である。
 年内立春に事寄せた歌に返事がなく、またさして間を置かず、重ねて詠み贈った歌である。
 このたびも返事はなかった。どうしたことかと思ううちに、こうして言い寄る人が大勢あるらしいと聞き、佐は「我ならぬ人まつならば待つといはでいたくな越しそ沖つ白浪」と詠み贈る。

 初句の「かひなくて」は、甲斐もなく、の意で、返事のないまま日が過ぎたことをさす。二句の「年暮れはつる」は、年がすっかり暮れてしまう、の意で、前の歌が年の内に春が来ることを言ったのに対し、こちらは年が暮れ果てるほうへ目を向ける。三句の「物ならば」で仮定を立て、四句の「春にもあはぬ」へ渡す。「あふ」は季節にめぐり合う意と、人に逢う意とを兼ねており、この一語が歌の要にあたる。春という季節に出会わないことと、相手に逢えないこととが重なる。結句の「身ともこそなれ」は「こそ」の結びで、そういう身になってしまうだろう、と言い切る。年内に春が来るという前の歌の理屈を裏返し、このまま返事がなければ、年内立春の年でありながら春に出会えない身になる、と訴える形である。同じ暦の巡り合わせを、望みの側と絶望の側との両方から詠み分けており、二首で一組をなす作りになっている。

あふ:季節にめぐり合う。人に逢う。
くれはつ:すっかり暮れる。年が終わる。
かひ:効き目。甲斐。
作者
藤原道綱
出典
蜻蛉日記
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