今日といへば唐土までも行く春を
都にのみと思ひけるかな
- 歌の意味
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立春の今日といえば、唐土までも行き渡る春であるのに、都だけのことと思っていたのだなあ。
- 鑑賞
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巻第一 春歌上 5
詞書「入道前関白太政大臣、右大臣に侍りける時、百首歌よませ侍りけるに立春の心を」
ここまでの四首が日本国内の景を詠んできたのに対し、この歌は視野を唐土にまで広げ、春が国境を越えて行き渡るものであることを言う。詞書の「入道前関白太政大臣」は藤原兼実を指し、その兼実が右大臣であった時に詠ませた百首歌に、「立春」の題で詠み進めた歌である。
作者の「皇太后宮大夫俊成」は藤原俊成(一一一四〜一二〇四)である。藤原俊忠の子で、藤原定家の父にあたる。皇太后宮大夫を務め、のち出家して釈阿と号した。『千載和歌集』の撰者であり、幽玄を説いてその後の歌壇に大きな影響を与えた。
時期は立春の日である。場所は特定されず、都と唐土という二つの地が対置される。
直接の契機は「立春」という題による詠である。
俊成は『新古今和歌集』に七十二首が入集しており、その歌論と実作は定家をはじめ新古今歌壇の歌人に受け継がれた。
初句「今日といへば」は、立春という暦の上の一日を指す。暦が改まるという観念的な事柄から歌が起こされている。
二句「唐土までも」の「もろこし」は中国のことで、当時知られた最も遠い異国を挙げることで春の及ぶ範囲を極限まで広げている。「まで」に「も」を重ね、そこまでも、という強調になっている。
三句「行く春を」の「を」は逆接の接続助詞として働き、下の句へ続く。春が行き渡るのに、という含みである。
四句
五句「都にのみと思ひけるかな」は、これまで自分は春を都だけのものと思い込んでいた、という気づきの表明である。「けるかな」は詠嘆で、思い違いに今気づいたという調子を出す。
実景を描かず、暦と地理という観念だけで春を捉えている点に特色がある。漢詩に通じる発想であり、直前の宮内卿の歌が雪の景に即して春を言うのと対照的な位置に置かれている。
もろこし:中国。唐土
みやこ:都。ここでは平安京
- 作者
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藤原俊成
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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