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春といへば霞みにけりな昨日まで
波間に見えし淡路島山

歌の意味
春だといえばもう霞んでしまったことだ。昨日までは波の間にはっきり見えていた淡路島の山が。
鑑賞
巻第一 春歌上 6

詞書「題しらず」
 前の俊成の歌が暦の上の観念から春を捉えたのに続き、この歌は海上の眺めという実景に戻って立春を詠む。昨日と今日の一日の違いを、島影が霞むという変化に託している。詞書は「題しらず」で、詠まれた事情は伝わっていない。
 作者の俊恵法師(一一一三〜没年未詳)は源俊頼の子で、東大寺の僧である。自坊に歌林苑を設けて歌合や歌会を催し、身分を問わず歌人を集めた。鴨長明の和歌の師にあたり、『無名抄』にその言葉が数多く記されている。
 場面は立春のころ、場所は淡路島を望む海辺である。淡路島は摂津
播磨の沖に浮かぶ島で、古くから歌に詠まれてきた。
 詠まれた直接の契機は伝わらない。

 初句
二句「春といへば霞みにけりな」は、春だと言うだけでもう霞んでしまった、という意である。「けり」に詠嘆の終助詞「な」が添えられ、変化への驚きが直接に出ている。
 暦が改まっただけで景色まで変わったという捉え方は、壬生忠岑の「春立つといふばかりにやみ吉野の山も霞みてけさは見ゆらむ」(『拾遺和歌集』春)に通じる。巻頭の良経歌が本歌としたのも同じ歌であり、この一連が同じ趣向を変奏していることがわかる。
 三句「昨日まで」は、昨日までは、と時間を区切る語で、下の「見えし」の過去の助動詞「し」と呼応する。一日を境にした変化という主題がここで明示される。
 四句「波間に見えし」は、波の間に見えていた、の意である。海の上に点々と見えていた島影が具体的に思い浮かぶ。
 結句「淡路島山」は体言止めである。淡路島の山という一語で言い切ることで、霞の向こうに没した島の輪郭が余韻として残る。

けりな:詠嘆の助動詞「けり」に終助詞「な」が付いた形。〜たことだなあ
なみま:波と波の間
淡路島山:淡路島の山。淡路島は現在の兵庫県に属する島
作者
俊恵法師
出典
新古今和歌集
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