山深み春とも知らぬ松の戸に
たえだえかかる雪の玉水
- 歌の意味
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山が深いので春が来たとも知らない松の戸に、途切れ途切れに滴りかかる雪解けの雫よ。
- 鑑賞
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巻第一 春歌上 3
詞書「百首歌たてまつりし時、春のうた」
巻頭三首目に置かれた歌である。詞書の「百首歌たてまつりし時」は、正治二年(一二〇〇年)に後鳥羽院が催して詠進させた「正治初度百首」を指す。院は皇族
大臣から宮廷歌人までを含む歌人に百首歌を求め、この催しによって仙洞歌壇の基礎が築かれた。それまで歌合や歌会など公の場にほとんど出ることのなかった式子内親王にとっては、自らの歌が広く歌壇に知られる機会となった。
式子内親王(一一四九頃〜一二〇一)は後白河天皇の皇女である。幼くして賀茂斎院に卜定され、十年余りその任にあった。退下後は藤原俊成に和歌を学び、その子の定家とも交流をもった。
歌に詠まれる場面は早春、場所は山深いところに営まれた庵である。里ではすでに春であっても、山中にはなお雪が残っている時期にあたる。
直接の契機は「春」の題による詠進である。
式子内親王はこの百首を詠んだのち、翌建仁元年正月に薨去した。『正治初度百首』の詠のうち二十五首が『新古今和歌集』に入集しており、同百首からの入集数としては最も多い。良経
後鳥羽院に続く巻頭三首目にこの歌が置かれたことは、その評価の高さを示している。
初句「山深み」は「山が深いので」の意で、形容詞の語幹に「み」が付いて原因
理由を表す語法である。
二句「春とも知らぬ」は、里ではすでに春であるのに、山の中ではその訪れがわからない、という意である。巻頭二首が「春は来にけり」「春こそ空に来にけらし」と春の到来を言い切ったのに対し、ここでは打消の「ぬ」が置かれ、まだ春に入りきらない景が示される。三首を並べて読むと、春の訪れが段階を追って組み立てられていることがわかる。
三句「松の戸に」の「松の戸」は松の枝で作った粗末な戸で、人里離れた山中の住まいを表す。松の木陰の戸と解する説もある。
四句「たえだえかかる」は、途切れ途切れに滴り落ちてかかるさまである。続かずに落ちる滴りが、かえって山中の静けさを際立たせる。
結句「雪の玉水」は体言止めである。「玉水」は玉のように美しい水の滴を指し、ここでは雪解けの雫を言う。冬の雪が水へと姿を変えるところに春の兆しが託されており、目に映る光とともに、滴の音という聴覚にも訴える結びとなっている。
山深み:山が深いので。形容詞の語幹に「み」が付き、原因
理由を表す
松の戸:松の枝で作った戸。人里離れた山中の粗末な住まいを表す
玉水:玉のように美しい水の滴。ここでは雪解けの雫
卜定:占いによって選び定めること。斎院
斎宮を定める際に行われた
- 作者
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式子内親王
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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