沢に生ふる若菜ならねどいたづらに
年をつむにも袖は濡れけり
- 歌の意味
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沢に生える若菜ではないけれども、むだに年を積み重ねてゆくにつけても、袖は涙で濡れるのだった。
- 鑑賞
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巻第一 春歌上 15
詞書「述懐百首歌よみ侍りけるに若菜」
若菜の一連の締めくくりに置かれ、行事の景から離れて、自らの老いを述懐する歌となっている。若菜摘みという春の営みを、年を重ねることへの嘆きに転じている。詞書によれば、身の上を述べる述懐百首を詠んだ折の「若菜」の題による歌である。
作者の「皇太后宮大夫俊成」は藤原俊成である。第五首の作者と同じで、本巻ではこれが二度目の登場となる。
場面は若菜摘みの季節であるが、実際に野に出た情景としてではなく、若菜を引き合いに出した比喩として詠まれている。
直接の契機は「若菜」の題による詠である。述懐百首は自らの身の上や老いの思いを主題とする百首歌で、題詠でありながら私的な感慨を述べる形をとる。
初句
二句「沢に生ふる若菜ならねど」は、沢に生える若菜ではないけれども、の意である。「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形で、「ど」を伴って逆接となる。若菜を否定しておいて、それでも共通するものがあると下に続ける形である。
三句「いたづらに」は、むだに、かいもなく、の意で、下の「年を積む」に掛かる。
四句「年をつむにも」の「つむ」は「摘む」と「積む」の掛詞である。若菜を摘むという春の行為と、年齢を積み重ねるという時の経過とが、この一語で結び付けられている。上の句で若菜を出したのは、この掛詞を成り立たせるためである。
結句「袖は濡れけり」は、若菜摘みであれば露や雪に濡れる袖であるところを、涙に濡れる袖に置き換えている。春の行事の景をそのまま老いの嘆きに移し替えた形で、「けり」の詠嘆がその気づきを示す。
第十一首から続いた若菜の歌がここで人事の嘆きへ転じ、次の子の日の歌へと受け渡される。
沢:水の浅くたまった湿地
いたづらなり:むだである。かいがない
つむ:「摘む」と「積む」の掛詞。若菜を摘む意と、年齢を重ねる意
- 作者
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藤原俊成
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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