さざ波や志賀の浜松古りにけり
誰が世に引ける子の日なるらん
- 歌の意味
-
志賀の浜の松はすっかり老いてしまった。いったい誰の御代に引かれた子の日の小松なのだろう。
- 鑑賞
-
巻第一 春歌上 16
詞書「日吉社によみてたてまつりける子の日の歌」
前歌が若菜から老いの嘆きへ転じたのを受け、この歌は子の日の小松を主題としながら、同じく時の経過を詠む。老いた浜松を前にして、それが小松であったころの世を思う構成である。原文では作者名が改めて記されず、前の歌と同じ作者が続いていることを示している。
作者は前歌に続いて藤原俊成である。
場面は正月の初子の日、場所は近江国の志賀の浜、すなわち琵琶湖の西岸一帯である。日吉社は志賀の地に鎮座する社で、現在の日吉大社にあたる。
直接の契機は、日吉社に奉納するために詠まれた子の日の歌としての詠出である。子の日には野に出て小松を引き、その生命力にあやかって長寿を願う行事があった。
『新古今和歌集』巻第七の賀歌にも、子の日や松を詠む歌が数多く採られており、この歌の趣向はそれらと通じている。
初句「さざ波や」は近江の志賀の地を指す語で、地名を呼び起こす働きをもつ。「や」は詠嘆の間投助詞である。
二句「志賀の浜松」で老いた松が示され、三句「古りにけり」の「古る」は古びる、老いるの意である。「けり」の詠嘆が、久しく経ったことへの感慨を出す。
四句「誰が世に引ける」の「引く」は、子の日に小松を根ごと引き抜く行事の動作である。今は大木となった浜松も、かつては誰かが引いた小松だったはずだ、という遡行の発想がここに置かれる。「誰が世」は誰の御代の意で、時代そのものを問う言い方である。
結句「子の日なるらん」の「らん」は現在推量の助動詞で、疑問の「誰が」と呼応して、〜なのだろうという問いの形で結ぶ。答えの出ない問いをそのまま残すことで、松の年月の長さが計り難いものとして印象づけられる。
前歌が自らの老いを嘆いたのに対し、この歌は松の老いを通して人の世の移り変わりを見る。同じ作者による二首が、老いという主題を私と公の両面から扱う形で並べられている。
さざ波:近江国の志賀一帯を指す語
ふる:古びる。年を経て老いる
子の日:正月の最初の子の日。野に出て小松を引き、長寿を願う行事が行われた
引く:小松を根ごと引き抜く。子の日の行事の動作
- 作者
-
藤原俊成
- 出典
-
新古今和歌集
- その他の歌
-