- 歌の意味
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浅い緑も花も一つに溶け合って霞みながら、おぼろに見える春の夜の月よ。
- 鑑賞
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巻第一 春歌上 56
詞書「祐子内親王藤壺に住み侍りけるに、女房
殿上人など、さるべきかぎり物語して、春秋のあはれいづれに心引くなど争ひ侍りけるに、人々多く秋に心を寄せ侍りければ」
春と秋のどちらがすぐれるかという議論の場で詠まれた歌である。詞書によれば、祐子内親王が藤壺に住んでいたころ、女房や殿上人が集まって春秋の優劣を論じ、多くの者が秋に心を寄せた。そこで春の側に立って詠まれたのがこの歌である。
作者の菅原孝標女は菅原孝標の娘で、『更級日記』の作者として知られる。母方の伯母に『蜻蛉日記』の作者である藤原道綱母がいる。祐子内親王は後朱雀天皇の皇女である。
場面は春の夜、場所は宮中の藤壺である。
直接の契機は、春秋の優劣をめぐる座談で、秋に傾いた場に春の側から応じたことである。
この場の様子は『更級日記』にも記されており、日記と勅撰集の両方に伝えられている。
初句「浅緑」は薄い緑で、芽ぐみはじめた木々の色をいう。色の名を体言のまま置いて歌が始まる。
二句「花もひとつに」の「も」は、緑に加えて花までも、の含みである。緑と白がそれぞれの色を失い、一つに溶け合う。
三句「霞みつつ」の「つつ」は継続を表し、霞み続ける状態を示す。
四句「朧に見ゆる」で朧という題の語が現れ、結句「春の夜の月」に係る。この結句は第二十三首
第四十首
第四十七首にも用いられており、本巻で四度目となる。
秋の月がくっきりと澄むのに対し、春の月は輪郭を失う。その曖昧さを欠点ではなく美として示すことで、秋に傾いた座に反論している。景を述べるだけで議論に応じており、第三十六首の後鳥羽院歌が正面から通念を否定したのとは対照的な応じ方である。
あさみどり:薄い緑。芽ぐみはじめた木々の色
おぼろなり:ぼんやりとして輪郭が定かでない
- 作者
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菅原孝標女
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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