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今はとてたのむの雁もうち侘びぬ
朧月夜の曙の空

歌の意味
今はもうこれまでといって、田の面の雁も心細げに鳴いた。朧月夜の曙の空よ。
鑑賞
巻第一 春歌上 58

詞書「摂政太政大臣家百首歌合に」
 朧月の一連から帰雁の一連へ移る位置に置かれる。北へ帰る雁が別れを惜しんで鳴く声を、朧月の残る明け方の空に配している。詞書によれば良経の家で催された百首歌合の詠で、第二十三首
第三十七首と同じ催しである。
 作者の寂蓮法師(一一三九頃〜一二〇二)は俗名を藤原定長といい、藤原俊成の甥で、その養子となった。のちに出家した。『新古今和歌集』の撰者に任じられたが、完成を見ずに没した。
 場面は春の明け方、場所は田のあたりである。
 直接の契機は百首歌合への出詠である。

 初句「今はとて」は、今はもうこれまでといって、の意で、去り際の言葉を引用する形である。雁の鳴き声を別れの言葉として読み取っている。
 二句「たのむの雁も」の「たのむ」は「田の面」であるが、同時に「頼む」の音を含み、頼みにするという意が響く。田を頼りにしていた雁が去るという含みが生じる。
 三句「うち侘びぬ」の「侘ぶ」は、心細く思う、つらく思う意である。「うち」は語調を整える接頭語、「ぬ」は完了の助動詞である。
 四句
五句「朧月夜の曙の空」は体言止めである。朧月と曙という、前の一連と次の一連をつなぐ二つの時間が重ねられている。
 雁の去る情景を人の別れになぞらえる詠み方は古くからあるが、この歌は「今はとて」という一語だけでそれを示し、あとは景に委ねている。次の第六十一首では良経が同じ「田の面」の語を用いており、二首が呼応する。

たのむ:田の面。「頼む」の音を響かせる
わぶ:心細く思う。つらく思う
うち:語調を整える接頭語
作者
寂蓮法師
出典
新古今和歌集
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