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島の宮上の池なる放ち鳥
荒びな行きそ君座さずとも

歌の意味
島の宮の上の池にいる放ち鳥よ、人になつかない鳥となって去って行かないでくれ。皇子がいらっしゃらなくても。
鑑賞
巻第二 挽歌 172

詞書は前の歌に続き「皇子尊の宮の舎人ら、慟傷して作る歌二十三首」
 島の宮の池の放ち鳥に、皇子がいなくなっても荒れて飛び去らないでほしいと呼びかけ、宮の姿がそのまま残ることを願った一首である。
 詞書によれば、草壁皇子の宮に仕えた舎人たちが、皇子の死を嘆き悲しんで作った歌二十三首である。左注は日本書紀を引き、皇子が持統天皇三年(689)四月に亡くなったと記す。一連は、主を失った島の宮の庭や池、殯宮の置かれた真弓の岡や佐田の岡で宿直する舎人たちの嘆きを、さまざまな場面から詠み継いでいる。本歌は一連の二首目である。
 作者は草壁皇子の宮に仕えた舎人たちで、一人一人の名は伝わらない。舎人は皇族や天皇の身近に仕えて警護や雑務にあたった役人である。柿本人麻呂が舎人の立場に立って作ったとする説もあるが、定まっていない。

 初句「島の宮」は草壁皇子の宮殿である。本巻の第百七十首の柿本人麻呂の歌と同じ初句で始まる。
 二句「上の池なる」は、島の宮の上手にある池にいるの意である。
 三句「放ち鳥」は放し飼いの鳥で、第百七十首では人を恋うて池にもぐらない鳥として詠まれており、本歌の鳥と対をなしている。
 四句「荒びな行きそ」の「荒ぶ」は人になつかず荒々しくなる意で、「な〜そ」は禁止を表す。一連の十首目の第百八十首も同じ句を用いる。
 結句「君座さずとも」の「座す」は「あり」の尊敬語で、皇子がいらっしゃらなくてもの意。倒置によって嘆きの理由を最後に示す。

あらぶ:人になつかず荒々しくなる
はなちどり:放し飼いにされている鳥
出典
万葉集
前の歌
高照らす我が日の御子の万代に 国知らさまし島の宮はも
次の歌
高照らす我が日の御子のいましせば 島の御門は荒れずあらましを