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あしひきの山も近きを霍公鳥
月立つまでに何か来鳴かぬ

歌の意味
山も近いのに、霍公鳥は月が改まるまで、どうしてやって来て鳴かないのか。
鑑賞
巻第十七 3983

詞書「立夏四月、既に累日を経て、なほいまだ霍公鳥の喧くを聞かず。よりて作る恨みの歌二首」
 山も近いのに、霍公鳥はどうして月が改まるまで来て鳴かないのか、と待ちわびる心を恨みの形で詠んだ歌である。天平十九年(747)三月二十九日、越中の家持が、立夏を過ぎて日を重ねてもまだ霍公鳥の声を聞かないことを恨んで詠んだ二首の一つである。左注によれば、霍公鳥は立夏の日に来て鳴くものと決まっているのに、越中は橘の少ない土地であるため、その思いを歌にしたという。都では当然のように聞かれた霍公鳥の声を、越中では待ち続けなければならないもどかしさを表している。
 作者の大伴家持は大納言大伴旅人の子である。天平十八年(746)に越中守となって五年を越中で過ごし、のちに少納言、因幡守などを歴任して中納言に至った。万葉集の編纂に深く関わったと考えられている人物である。
 左注に「霍公鳥は立夏の日に来鳴くこと必定なり。また越中の風土は橙橘の有ること希なり。これによりて、大伴宿祢家持、懐に感発して聊かにこの歌を裁る(三月二十九日)」とある。

 初句「あしひきの」は山にかかる枕詞である。
 二句「山も近きを」の「を」は逆接で、山も近いのに、の意である。恭仁京での第三千九百十一首では「山辺に居れば」霍公鳥の鳴かない日はないと詠んだが、越中では山が近くても鳴かず、対照的な状況となっている。
 三句「霍公鳥」は待ちわびる対象として呼びかけるように置かれている。
 四句「月立つまでに」は、月が改まるまで、すなわち四月になるまで、の意である。
 結句「何か来鳴かぬ」の「か」は疑問の係助詞で、打消の「ず」の連体形「ぬ」と係り結びをなす。どうして来て鳴かないのか、と恨みをこめて問いかけている。本巻の第三千九百八十八首では、ようやく遥かに鳴く声を聞いた喜びが詠まれている。

つきたつ:月が改まる。新しい月になる
作者
大伴家持
出典
万葉集
前の歌
春花のうつろふまでに相見ねば 月日数みつつ妹待つらむぞ
次の歌
玉に貫く花橘をともしみし この我が里に来鳴かずあるらし