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紅葉葉を今日はなほ見ん暮れぬとも
をぐらの山の名には障らじ

歌の意味
紅葉を今日はなおも見ていよう。日が暮れてしまっても、小暗いという小倉山の名にさまたげられはしまい。
鑑賞
巻第三 秋歌 195

詞書「大井河に人々まかりて歌詠み侍りけるに」
 日が暮れかかっても紅葉を見続けよう、小暗いという名の小倉山であっても、その名にさまたげられて見えなくなることはあるまいと詠む歌である。小倉山の名にかけて、紅葉を見飽きない心を機知的に表している。詞書によれば、人々が大井川に出かけて歌を詠んだときの歌である。
 作者の「よしのふ」は大中臣能宣である。伊勢神宮の祭主を務めた大中臣氏の出で、梨壺の五人の一人として後撰和歌集の撰進と万葉集の訓読に携わった。三十六歌仙に数えられる。

 初句「紅葉葉を」は、前歌の初句「紅葉葉の」を受け、大井川の紅葉をいう。
 二句「今日はなほ見ん」は、今日はやはり見よう、の意で、「ん」は意志の助動詞である。ここで句切れとなる。
 三句「暮れぬとも」は、日が暮れてしまっても、の意で、「とも」は逆接の仮定条件を表す。
 四句「をぐらの山の」は、「をぐら」に大井川のほとりの小倉山の名と、小暗しの意を掛けた掛詞である。巻第二の第百二十八首、第百三十五首でも小倉山の名の暗さが詠まれ、名をめぐる趣向が受け継がれている。
 結句「名には障らじ」は、名にさまたげられはしまい、の意で、「じ」は打消推量の助動詞である。

をぐら:山城国の小倉山の名と、小暗し(ほの暗い)の意を掛ける
さはる:さまたげられる。障る
作者
大中臣能宣
出典
拾遺和歌集
前の歌
紅葉葉の色をし添へて流るれば 浅くも見えず山川の水
次の歌
秋霧のたたまく惜しき山路かな 紅葉の錦織りつもりつつ