世に経るに物思ふとしもなけれども
月に幾度眺めしつらん
- 歌の意味
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この世に生きていて、特に物思いをしているというわけでもないのに、月に向かって幾度もの思いにふけって眺めてきたことだろうか。
- 鑑賞
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巻第八 雑歌上 432
詞書「月を見侍りて」
この世に暮らして、これといった物思いがあるわけでもないのに、月を前にすると幾度となくもの思いにふけって眺めてしまったと詠む歌である。月を見るとおのずと心が沈んでいく不思議さを、自分の過去を振り返る形で表している。詞書の「月を見侍りて」から、月を眺めた折にふと心に浮かんだ感慨を詠んだものとわかる。
本巻は雑の部の上巻で、四季や恋に分けられない歌を集めている。巻頭のこの歌から本巻の第四百四十二首までは月の歌が続き、次歌の第四百三十三首も「思ふ事有りとはなしに」と、物思いがないのに月夜には眠れないと詠んで、この歌と同じ趣向を重ねている。巻頭の二句「物思ふ」は、巻末の第五百八首の結句「問はむとぞ思ふ」と、思いを詠む語で呼応している。
作者の「中務卿具平親王」は、村上天皇の第七皇子で、中務卿を務め、後中書王と呼ばれた。詩文と和歌に優れ、学識の深さで知られた。
初句「世に経るに」は、この世に生きていると、の意である。「経る」は年月を過ごす意で、本巻では第四百六十三首、第四百九十五首、第五百四首にも世にふる身を詠む歌が見え、巻の中で繰り返し現れる主題となっている。
二句「物思ふとしも」は、物思いをするというわけでも、の意で、「しも」は強めの副助詞である。次歌の初句「思ふ事」、第四百三十四首の二句「物思ふ事の」と同じ物思いの語を重ねている。
三句「なけれども」は、ないのだけれども、の意で、逆接の接続助詞「ども」によって下の句へ続く。
四句「月に幾度」は、月に向かって幾度、の意で、月を見るたびの回数の多さを強調している。
結句「眺めしつらん」は、もの思いにふけって眺めたことだろうか、の意で、「つ」は完了の助動詞、「らん」は現在推量の助動詞であり、過ぎてきた日々を振り返る詠嘆をこめている。
ふ:経。年月を過ごす。この世に生きる
ながむ:もの思いにふけりながらぼんやりと見やる
- 作者
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具平親王
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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秋風の四方の山よりおのがしし ふくにちりぬる紅葉悲しな
- 次の歌
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思ふ事有りとはなしに久方の 月夜となれば寝られざりけり