定めなくなるなる瓜のつら見ても
立ちや寄り来む狛のすき者
- 歌の意味
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定まりなく次々となる瓜の蔓を見ても、その顔を見ても、狛の風流人は立ち寄って来るだろうか。
- 鑑賞
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巻第九 雑歌下 558
詞書「返し」
定まりなく次々となる瓜の蔓を見ても、また相手の顔を見ても、狛の風流人は立ち寄って来るだろうかと返した歌である。前歌の第五百五十七首で心が定まらないととがめられたのに対し、同じ狛の瓜作りを受けて、瓜の「蔓」と顔の「面」を掛け、そのような者に誰が立ち寄るものかと切り返している。
作者の「大納言朝光」は藤原朝光である。関白藤原兼通の子で、大納言に至った。家集に朝光集がある。
初句「定めなく」は、定まりなく、の意で、前歌の第五百五十七首の四句「となりかくなり」を受けている。
二句「なるなる瓜の」は、次々と実る瓜の、の意で、前歌の「なり」「なる」の音をそのまま受けている。
三句「つら見ても」は、「つら」が瓜の「蔓」と顔の意の「面」を掛ける掛詞である。
四句「立ちや寄り来む」は、立ち寄って来るだろうか、の意で、係助詞「や」は疑問を表し、推量の助動詞「む」の連体形で結ぶ係り結びである。
結句「狛のすき者」は、狛の風流人、の意で、前歌の第五百五十七首の二句「狛の渡りの」を受けている。体言止めで、倒置して主語を示している。
つら:瓜の「蔓」と、顔の意の「面」を掛ける
すきもの:好き者。風流を好む人、色好みの人
- 作者
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藤原朝光
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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音に聞く狛の渡りの瓜作り となりかくなりなる心かな
- 次の歌
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陸奥の安達の原の黒塚に 鬼こもれりと聞くはまことか