恋ひ死なむ後は何せん生ける日の
ためこそ人の見まくほしけれ
- 歌の意味
-
恋い死にしてしまった後では、何になろうか。生きている日のためにこそ、あの人に逢いたいのだ。
- 鑑賞
-
巻第十一 恋歌一 685
詞書は前の歌に続き「題しらず」
恋い死にした後で逢えても何になろう、生きている日のためにこそあの人に逢いたいのだと詠む歌である。前の歌々が命と逢うことを引き換えにしようとしたのに対し、死んでからでは意味がない、生きているうちに逢いたいと、率直な願いを述べている。万葉集の巻四に大伴百代の歌として見え、四句と結句に小異がある。
作者の「大伴百世」は大伴百代である。奈良時代の官人で、大宰大監を務め、大伴旅人のもとで催された梅花の宴にも列した。
初句「恋ひ死なむ」は、恋い死にしてしまうであろう、の意で、「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形、「む」は推量の助動詞の連体形である。
二句「後は何せん」は、その後では何になろうか、の意で、反語を表す。ここで句切れとなる二句切れの歌である。
三句「生ける日の」は、生きている日の、の意である。
四句「ためこそ人の」は、ためにこそあの人を、の意で、係助詞「こそ」は結句の已然形「ほしけれ」で結ぶ係り結びである。
結句「見まくほしけれ」は、逢いたいのだ、の意で、「見まく」は「見む」に接尾語「く」がついた形である。
みる:見る。ここでは男女が逢うこと
- 作者
-
大伴百代
- 出典
-
拾遺和歌集
- 前の歌
-
生きたれば恋することの苦しきを なほ命をば逢ふにかへてん
- 次の歌
-
あはれとし君だに言はば恋ひわびて 死なん命も惜しからなくに