しめてこそ千歳の春は来つつ見め
松を手たゆく何か引くべき
- 歌の意味
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標を張って自分のものとしてこそ、千年の春ごとにやって来ては見よう。松を、手がだるくなるまで、どうして引き抜く必要があろうか。
- 鑑賞
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巻第十六 雑春歌 1024
詞書「題しらず」
松は引き抜くよりも、標を張って自分のものとし、千年の春ごとに訪れて見ようと詠む歌である。子の日に小松を引く習わしに対し、引かずにそのまま育て、千年にわたって春ごとに見続けるほうがよいと、松の長寿をことほいでいる。前歌の第千二十三首が引いて見る小松に千年を見たのに対し、この歌は引かずに千年を見続けようと詠み、対をなしている。
初句「しめてこそ」は、標を張って自分のものとしてこそ、の意で、係助詞「こそ」は三句の已然形「め」で結ぶ係り結びである。
二句「千歳の春は」は、千年の春ごとに、の意で、前歌の第千二十三首の結句「千代にかあるらん」、次歌の第千二十五首の二句「松の千歳も」と、松の長寿を共有している。
三句「来つつ見め」は、やって来ては見よう、の意で、「つつ」は反復、「め」は意志の助動詞「む」の已然形である。ここで句切れとなる三句切れの歌である。
四句「松を手たゆく」は、松を手がだるくなるまで、の意である。
結句「何か引くべき」は、どうして引く必要があろうか、の意で、「か」は反語を表す。前歌の初句「引きて見る」に対し、引くまいと結んでいる。
しむ:標む。標を張って自分のものとする
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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引きて見る子の日の松はほどなきを いかでこもれる千代にかあるらん
- 次の歌
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一本の松の千歳も久しきに 斎の宮ぞ思ひやらるる