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年を経てみ山隠れの郭公
聞く人もなき音をのみぞなく

歌の意味
何年も深山に隠れて過ごすほととぎすは、聞く人もいない声で、ただ鳴いてばかりいる。私もまた、聞く人もないまま声を上げて泣いてばかりいる。
鑑賞
巻第十六 雑春歌 1073

詞書「陸奥国にまかり下りて後、郭公の声を聞きて」
 何年も深山に隠れているほととぎすは、聞く人もいない声でただ鳴いてばかりいると詠む歌である。詞書から、陸奥国に下った後に、ほととぎすの声を聞いて詠んだ歌とわかる。都を遠く離れた奥地で、聞く人もなく鳴くほととぎすに、都から離れて嘆く自らの身を重ね、「鳴く」と「泣く」を掛けて、望郷の思いを詠んでいる。
 作者の「実方朝臣」は藤原実方である。藤原定時の子で、叔父の藤原済時の養子となった。左近衛中将から陸奥守となって任地に下り、その地で没した。中古三十六歌仙の一人で、百人一首の「かくとだに」の歌で知られる。

 初句「年を経て」は、何年も過ごして、の意である。
 二句「み山隠れの」は、深山に隠れている、の意で、本巻の第千六十五首の四句「み山隠れの」と同じ句を共有し、あちらの鶯に対して、こちらはほととぎすを詠んでいる。
 三句「郭公」は、ほととぎすは、の意で、陸奥にいる作者自身を重ねている。
 四句「聞く人もなき」は、聞く人もいない、の意である。
 結句「音をのみぞなく」は、声を上げて鳴いてばかりいる、の意で、「なく」は鳥が「鳴く」と、人が「泣く」を掛ける掛詞である。係助詞「ぞ」を受けて連体形の「なく」で結ぶ係り結びである。

なく:鳥が「鳴く」意と、人が声を上げて「泣く」意を掛ける
作者
藤原実方
出典
拾遺和歌集
前の歌
卯の花の咲ける垣根に宿りせし 寝ぬに明けぬと驚かれけり
次の歌
声立ててなくといふとも郭公 袂は濡れじそらねなりけり