疑はしほかに渡せるふみ見れば
我やとだえにならんとすらん
- 歌の意味
-
疑わしいことだ。ほかの女に渡した手紙を見ると、私のもとへの通いは途絶えようとしているのだろうか。
- 鑑賞
-
巻第十八 雑賀 1202
詞書「入道摂政まかり通ひける時、女のもとに遣はしける文を見侍りて」
ほかの女に渡そうとした手紙を見ると、私のもとへの通いは途絶えようとしているのだろうかと疑う歌である。詞書から、入道摂政藤原兼家が作者のもとに通っていた頃、兼家がほかの女に送ろうとしていた手紙を見つけて詠んだ歌とわかる。「文」と「踏み」を掛け、「渡す」「とだえ」と橋の縁語を連ねて、夫の心がほかの女に移り、自分への通いが途切れることへの不安と嫉妬を詠んでいる。この出来事は蜻蛉日記の冒頭近くにも記されている。前歌の第千二百一首の岩橋の「絶えぬべし」に続き、橋にたとえて途絶える仲を詠んでいる。
作者の「春宮大夫道綱母」は藤原道綱母である。藤原倫寧の娘で、藤原兼家の妻となって道綱を生んだ。蜻蛉日記の作者で、百人一首の「嘆きつつ」の歌で知られる。
初句「疑はし」は、疑わしい、の意で、形容詞の終止形で言い切る初句切れである。
二句「ほかに渡せる」は、ほかの女に渡そうとした、の意で、「る」は存続の助動詞「り」の連体形である。「渡す」は橋の縁語である。本巻の第千百九十九首の四句「我が渡し来し」と、文を渡すことを橋に重ねる点で通い合っている。
三句「ふみ見れば」は、「ふみ」が手紙の「文」と、橋を「踏み」を掛ける掛詞である。本巻の第千百九十九首の三句「ふみ見れば」と同じ句を共有している。
四句「我やとだえに」は、私が途絶えに、の意で、係助詞「や」は結句の「らん」で結ぶ係り結びである。「とだえ」は橋が途切れる意で、橋の縁語である。
結句「ならんとすらん」は、なろうとしているのだろうか、の意で、「らん」は現在推量の助動詞の連体形である。
ふみ:手紙の「文」と、橋を「踏み」の意を掛け、「渡す」「とだえ」とともに橋の縁語となる
とだえ:途絶え。通いが途切れること
- 作者
-
藤原道綱母
- 出典
-
拾遺和歌集
- 前の歌
-
岩橋の夜の契りも絶えぬべし 明くるわびしき葛城の神
- 次の歌
-
いかでかは尋ね来つらん蓬生の 人も通はぬ我が宿の道