家ながら別るる時は山の井の
濁りしよりもわびしかりけり
- 歌の意味
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家にいながら別れる時は、あの山の井の水が濁った時の別れよりも、いっそうつらいことだ。
- 鑑賞
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巻第十九 雑恋 1229
詞書「三条の尚侍、方違へに渡りて帰る朝に、雫に濁るばかりの歌今はえ詠まじと侍りければ、車に乗らんとしけるほどに」
家にいながら別れる時は、山の井の水が濁った時の別れよりもいっそうつらいと詠む歌である。詞書から、三条の尚侍が方違えのために作者の家に来て、帰る朝に、雫に濁るほどの歌はもう詠めないでしょうと言ったので、車に乗ろうとする間に詠んだ歌とわかる。前歌の第千二百二十八首の名歌を引き合いに出した尚侍の言葉に、あの時の別れよりも今の別れのほうがつらいと答え、即座に機知で応じている。三条の尚侍は藤原満子とされる。
作者の紀貫之は、古今和歌集の撰者の中心人物で、仮名序を執筆し、土佐日記を著した。三十六歌仙に数えられる。
初句「家ながら」は、家にいながら、の意で、旅の途中の山越えの別れに対し、自分の家での別れをいう。
二句「別るる時は」は、別れる時は、の意である。
三句「山の井の」は、山中の湧き水の、の意で、前歌の第千二百二十八首の三句「山の井の」を受けている。
四句「濁りしよりも」は、濁った時よりも、の意で、前歌の第千二百二十八首の二句「雫に濁る」を受け、あの山の井の別れよりも、の意となる。
結句「わびしかりけり」は、つらいことだ、の意で、「けり」は気づきの詠嘆を表す。
かたたがへ:方違へ。凶の方角を避けるため、前夜に別の所に泊まること
ないしのかみ:尚侍。内侍司の長官
- 作者
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紀貫之
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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結ぶ手の雫に濁る山の井の 飽かでも人に別れぬるかな
- 次の歌
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はし鷹のとがへる山の椎柴の 葉替へはすとも君は替へせじ