限りあれば今日脱ぎ捨てつ藤衣
果てなきものは涙なりけり
- 歌の意味
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喪の期間には限りがあるので、今日喪服を脱ぎ捨てた。けれども、果てのないものは涙であったのだ。
- 鑑賞
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巻第二十 哀傷 1293
詞書「恒徳公の服脱ぎ侍るとて」
喪の期間には限りがあるので今日喪服を脱ぎ捨てたが、果てのないものは涙であったと詠む歌である。詞書から、父の恒徳公藤原為光の喪が明け、喪服を脱ぐ時に詠んだ歌とわかる。為光は正暦3年(992)に没した。定めによって終わる喪の期間と、終わりのない涙とを「限り」と「果てなき」で対比し、父を失った悲しみの尽きないことを率直に詠んでいる。喪明けの哀傷の歌として広く知られる。
第千二百九十一首から第千二百九十三首までは、喪の期間を終えて喪服を脱ぐ時の歌が並んでいる。いずれも藤衣を詠み、喪服は脱いでも涙は尽きないという心を共有している。
作者の藤原道信は、藤原為光の子で、藤原兼家の養子となった。和歌に優れたが、正暦5年(994)に二十三歳で没した。中古三十六歌仙の一人で、百人一首の「明けぬれば」の歌で知られる。
初句「限りあれば」は、喪の期間には定めの限りがあるので、の意で、「ば」は已然形について原因を表す。結句の「果てなき」と対をなしている。
二句「今日脱ぎ捨てつ」は、今日脱ぎ捨てた、の意で、「つ」は完了の助動詞である。
三句「藤衣」は、喪服、の意で、本巻の第千二百九十一首の初句、前歌の第千二百九十二首の初句と同じ語である。ここで句切れとなる三句切れの歌で、体言止めとなっている。
四句「果てなきものは」は、終わりのないものは、の意である。
結句「涙なりけり」は、涙であったのだ、の意で、「けり」は気づきの詠嘆を表す。
ふぢごろも:藤衣。喪服
ぶく:服。喪に服すこと、喪服
- 作者
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藤原道信
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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藤衣はつるる糸は君恋ふる 涙の玉の緒とやなるらん
- 次の歌
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人なしし胸の乳房をほむらにて 焼くすみぞめの衣着よ君