山寺の入相の鐘の声ごとに
今日も暮れぬと聞くぞ悲しき
- 歌の意味
-
山寺の夕暮れを告げる鐘の音が響くたびに、今日もまた暮れてしまったと聞くのが悲しい。
- 鑑賞
-
巻第二十 哀傷 1329
詞書「題しらず」
山寺の入相の鐘の音を聞くたびに、今日も暮れてしまったと聞くのが悲しいと詠む歌である。日暮れを告げる鐘の音に、一日一日と過ぎてゆく時と、それとともに尽きてゆく命とを感じ取り、無常の悲しみを詠んでいる。入相の鐘を詠んだ歌として名高い。
本巻はこのあたりから、無常を嘆く歌は、出家や仏道を詠む歌へと移ってゆき、巻末に至って仏教にまつわる伝承の歌が並ぶ。
初句「山寺の」は、山の中の寺の、の意である。
二句「入相の鐘の」は、夕暮れに寺でつく鐘の、の意である。
三句「声ごとに」は、その音がするたびに、の意である。
四句「今日も暮れぬと」は、今日もまた暮れてしまったと、の意で、「ぬ」は完了の助動詞である。一日の終わりに、命の終わりへと近づくことを重ねている。
結句「聞くぞ悲しき」は、聞くのが悲しい、の意で、係助詞「ぞ」を受けて形容詞の連体形「悲しき」で結ぶ係り結びである。本巻の第千二百七十八首、第千三百五首の結句と、同じ句を共有している。
いりあひ:入相。日の暮れるころ。また、そのころにつく寺の鐘
- 作者
-
よみ人しらず
- 出典
-
拾遺和歌集
- 前の歌
-
契りあれば屍なれども逢ひぬるを 我をば誰か訪はんとすらん
- 次の歌
-
憂き世をば背かば今日も背きなん 明日もありとは頼むべき身か