契りあれば屍なれども逢ひぬるを
我をば誰か訪はんとすらん
- 歌の意味
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縁があるので、この死者は屍となってもこうして弔う人に逢えたが、私の場合は、死んだら誰が弔ってくれるのだろうか。
- 鑑賞
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巻第二十 哀傷 1328
詞書「忠蓮、南山の房の絵に、死人を法師の見侍りて泣きたる形描きたるを見て」
縁があるので屍となっても人に逢えたが、私を誰が弔ってくれるのだろうかと詠む歌である。詞書から、忠蓮の南山の僧房の絵に、死人を法師が見て泣いている姿が描かれているのを見て詠んだ歌とわかる。絵の中の死者は、縁あって屍となった後も泣いてくれる法師に出会えたが、自分が死んだ時には誰が訪れてくれるだろうかと、我が身の行く末に思いを向けている。
作者の源相方は、左大臣源重信の子である。
初句「契りあれば」は、前世からの縁があるので、の意で、「ば」は已然形について原因を表す。
二句「屍なれども」は、屍であっても、の意で、絵の中の死者をいう。
三句「逢ひぬるを」は、こうして逢えたのに、の意で、「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形、「を」は逆接の接続助詞である。
四句「我をば誰か」は、私のことは誰が、の意で、係助詞「か」は結句の連体形「らん」で結ぶ係り結びである。
結句「訪はんとすらん」は、弔おうとするのだろうか、の意で、「らん」は現在推量の助動詞である。
かばね:屍。死体
ちぎり:契り。前世からの因縁
ばう:房。僧の住む部屋
- 作者
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源相方
- 出典
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拾遺和歌集
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世の中を何にたとへむ朝ぼらけ 漕ぎゆく舟の跡の白波
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山寺の入相の鐘の声ごとに 今日も暮れぬと聞くぞ悲しき