つれづれとふれば涙の雨なるを
春のものとや人は見るらむ
- 歌の意味
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することもなく物思いに沈んで日を過ごしていると、涙が雨のように降っているのに、人はそれを春のものである春雨だと見るのだろうか。
- 鑑賞
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巻第一 春歌上 33
詞書「題しらず」
することもなく物思いに沈んで日々を過ごしていると、涙が雨のように降り続くのに、人はそれを春の季節の春雨だと思って見ているのだろうか、と詠む。春雨の降る景色に自らの悲しみの涙を重ね、だれにも理解されない孤独な思いを表している。
作者の「和泉式部」は越前守大江雅致の娘である。一条天皇の中宮上東門院藤原彰子に仕えた女房で、恋の歌に優れた王朝を代表する女流歌人である。
なお本文の三句は「涙の南なるを」とあり、読み仮名の行の「なみたのあめなるを」と一致しない。「南」は語として意味が通らないため、ここでは読み仮名の行に従い「雨」と解した。
初句「つれづれと」は、することもなく物思いに沈むさまをいう。
二句「ふれば涙の」の「ふれ」は、時を「経れ」と、雨が「降れ」との掛詞である。日を過ごすことと涙が降ることとを重ねている。
三句「雨なるを」は、涙が雨であるのに、の意で、「を」は逆接の接続助詞である。前の第三十一首、第三十二首が自然の春雨を詠んだのに続き、本歌は涙の雨を春雨に見立てている。
四句「春のものとや」の「や」は疑問の係助詞で、結句の「らむ」と係り結びをなす。
結句「人は見るらむ」の「らむ」は現在推量の助動詞の連体形で、人は見ているのだろうか、と他人の無理解を嘆く。
ふる:時を「経る」意と、雨が「降る」意を掛ける
つれづれ:することもなく物思いに沈むさま
- 作者
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和泉式部
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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春雨のふりそめしより片岡の 裾野の原ぞ浅緑なる
- 次の歌
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み山木の陰野の下の下蕨 萌え出づれども知る人もなし