- 歌の意味
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毎年春がめぐって来るたびに、花が散ることがあるだろうか。もし奥山の風を桜自身の心だと思うならば。
- 鑑賞
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巻第二 春歌下 86
詞書は前の歌に続き「堀河院御時、百首歌奉りける時、桜をよめる」
前歌と同じく堀河百首で「桜」を題として詠んだ歌である。奥山に吹く風が桜自身の心であるならば、桜が自らの花を散らすことなどあるまいに、春を重ねるたびに花は散ってしまう、と詠む。花を散らすのは風であって桜の本意ではないと考え、それでも毎年散ってしまう花への恨めしさを、反実仮想の理屈で表している。
作者の「藤原基俊」は右大臣藤原俊家の子である。堀河院歌壇で源俊頼と並び称された歌人で、千載和歌集の撰者藤原俊成の師にあたる。官位には恵まれず、従五位上にとどまった。
初句「春を経て」は、春を幾度も過ごして、毎年の春ごとに、の意である。
二句「花散らましや」の「まし」は反実仮想の助動詞、「や」は反語を表し、花を散らすだろうか、いや散らさないだろう、の意となる。ここで句切れとなり、三句以下と倒置の関係にある。
三句「奥山の」は、人里離れた奥深い山の、の意である。
四句「風を桜の」は、奥山の風を桜の、の意で、花を散らす風と散らされる桜とを結びつける。
結句「心と思はば」は、未然形に「ば」が付いた仮定条件で、桜の心だと思うならば、の意である。二句の「まし」と呼応して反実仮想の構文を作る。
おくやま:人里離れた奥深い山
- 作者
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藤原基俊
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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花の散る木の下陰はおのづから 染めぬ桜の衣をぞ着る
- 次の歌
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嵐吹く志賀の山辺の桜花 散れば雲居にさざ浪ぞ立つ