過ぎぬるか夜半の寝覚めの時鳥
声は枕にある心地して
- 歌の意味
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もう過ぎ去ってしまったのか、夜更けの寝覚めに聞いた時鳥は。その声はまだ枕もとに残っているような心地がして。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 165
詞書「摂政右大臣の時の歌合に、郭公の歌とてよめる」
現在の摂政九条兼実がまだ右大臣であった頃に催した歌合で、「時鳥」を題として詠んだ歌である。夜更けの寝覚めに時鳥の声を聞いたが、もう過ぎ去ってしまったのか、その声はまだ枕もとにあるような気がするのに、と詠む。過ぎ去った声の余韻が枕に残るという感覚的な表現で、夢うつつの寝覚めの情趣を描いている。撰者俊成みずからの歌である。
作者の「皇太后宮大夫俊成」は藤原俊成である。権中納言藤原俊忠の子で、皇太后宮大夫を務め、正三位に至った。後白河院の院宣を受けて千載和歌集を撰んだ撰者その人であり、小倉百人一首にも歌が採られている。
初句「過ぎぬるか」の「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形、「か」は疑問で、もう過ぎてしまったのか、の意である。ここで句切れとなる。
二句「夜半の寝覚めの」は、夜更けに目を覚ましたときの、の意である。本巻の第百五十二首も寝覚めに時鳥を聞く。
三句「時鳥」は、初句の主語を後から示す倒置となっている。
四句「声は枕に」は、声はまだ枕もとに、の意である。
結句「ある心地して」は、あるような心地がして、の意で、言いさしの形で余韻を残す。本巻の第百六十二首「名残なく過ぎぬなるかな」が名残のなさを嘆いたのに対し、本歌は過ぎた声の名残が枕に残ると詠む。
よは:夜中、夜更け
ねざめ:夜中に目を覚ますこと
- 作者
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藤原俊成
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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時鳥聞きも分かれぬ一声に 四方の空をもながめつるかな
- 次の歌
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夜を重ね寝ぬよりほかに時鳥 いかに待ちてか二声は聞く