五月闇さ山の峰にともす火は
雲の絶え間の星かとぞ見る
- 歌の意味
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五月の闇夜に、山の峰で照射のためにともす火は、雲の切れ間に見える星かと思われる。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 195
詞書は前の歌に続き「同じ御時、百首歌奉りける時、照射の心をよみ侍りける」
前歌と同じく堀河百首で「照射」を題として詠んだ歌である。月のない五月の闇夜、山の峰で狩人がともす照射の火は、雲の切れ間にのぞく星かと見える、と詠む。暗い山にぽつりと浮かぶ火を星に見立て、地上の火と天の星とを重ねて、闇夜の照射の景を幻想的に描いている。
作者の「修埋大夫顕季」は藤原顕季である。本文の「修埋」は「修理」の誤りと見られ、修理大夫を務めたことによる呼称である。藤原隆経の子で、白河院の近臣として正三位に至った。六条藤家の祖である。
初句「五月闇」は、五月雨の頃の、月もなく暗い夜をいう。本巻の第百九十三首と同じ初句で、次歌の第百九十六首も同じである。
二句「さ山の峰に」の「さ」は接頭語で、山の峰に、の意である。
三句「ともす火は」は、照射のためにともす火は、の意である。
四句「雲の絶え間の」は、雲の切れ間の、の意である。本巻の第百八十八首「雲の晴れ間」が月の光を見せたのに対し、本歌は雲の絶え間に星を見立てる。
結句「星かとぞ見る」の「ぞ」は係助詞で、「見る」と連体形で結ぶ。照射の火を星に見立てる。
たえま:絶え間、切れ間
ともす:火をつける、灯す
- 作者
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藤原顕季
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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照射する宮城が原の下露に しのぶもぢずり乾く夜ぞなき
- 次の歌
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五月闇しげき端山に立つ鹿は 照射にのみぞ人に知らるる