よそにだに身にしむ暮れの鹿の音に
いかなる妻かつれなかるらん
- 歌の意味
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他人事として聞いてさえ身にしみる夕暮れの鹿の声に、いったいどのような妻が冷淡でいられるのだろうか。
- 鑑賞
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巻第五 秋歌下 320
詞書は前の歌に続き「鹿の歌とてよめる」
「鹿の歌」として詠んだ歌である。関わりのない自分が聞いてさえ身にしみる夕暮れの鹿の声なのに、呼ばれている当の妻は、どうして冷淡でいられるのだろうか、と詠む。鹿の声に応えない妻鹿をいぶかる形で、鹿の声の哀切さを強調している。
作者の「俊恵法師」は源俊頼の子である。東大寺の僧で、京の白川の僧坊を歌林苑と名づけ、多くの歌人が集う場とした。小倉百人一首にも歌が採られている。
本歌は、「鹿の歌」として詠まれた第三百十七首から第三百二十五首までの九首の一連の四首目である。
なお本文の三句は「しかのねに」とあり、読み仮名の行の「しかのねを」と一致しない。ここでは本文の表記に従う。
初句「よそにだに」の「よそ」は自分と関わりのないところ、「だに」は、〜でさえ、の意である。他人事として聞いてさえ、と程度の軽いものを挙げる。
二句「身にしむ暮れの」の「身にしむ」は、身にしみて感じられる、の意である。「暮れ」は夕暮れで、本巻の第三百十七首と同じく鹿の声と夕べとを結ぶ。
三句「鹿の音に」の「に」は対象を示し、この鹿の声に対して、の意である。
四句「いかなる妻か」の「か」は疑問の係助詞で、結句の「らん」と連体形で結ぶ。どのような妻なのか、と問う。
結句「つれなかるらん」の「つれなし」は冷淡である、の意である。「らん」は現在推量の助動詞「らむ」で、冷淡でいられるのだろうか、と推し量る。
よそ:自分とは関わりのないところ、他人事
みにしむ:身にしみて深く感じられる
- 作者
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俊恵
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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山里の暁方の鹿の音は 夜半のあはれの限りなりけり
- 次の歌
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夕まぐれさてもや秋は悲しきと 鹿の音聞かぬ人に問はばや