山姫に千重の錦を手向けても
散る紅葉葉をいかでとどめん
- 歌の意味
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山の女神に幾重もの錦を供えたとしても、散ってゆく紅葉を、どうしてとどめることができようか。
- 鑑賞
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巻第五 秋歌下 359
詞書「歌合し侍りける時、紅葉の歌とてよめる」
歌合を催した折、紅葉の歌として詠んだ歌である。山を守る女神の山姫に、幾重もの錦を供え物として捧げたとしても、散ってゆく紅葉をどうしてとどめられようか、と詠む。紅葉そのものが錦であり、それを散らすのも山の神であるという見方のもとに、どんな手立てでも散る紅葉は惜しみきれないことを嘆いている。
作者の「左京大夫顕輔」は修理大夫藤原顕季の子である。崇徳院の院宣を受けて詞花和歌集を撰んだ。六条藤家の歌道を継ぎ、小倉百人一首にも歌が採られている。
古今和歌集の菅原道真の歌「このたびは幣も取りあへず手向山紅葉の錦神のまにまに」以来、紅葉の錦を神に手向けるという趣向が詠まれてきた。本巻の第三百五十七首が竜田姫を詠んだのと同じく、本歌は山姫を詠む。
初句「山姫に」の「山姫」は山を守り治める女神である。本巻の第三百五十七首の「竜田姫」と同じく、紅葉を司る女神を詠む。
二句「千重の錦を」の「千重」は幾重にも重なっていることで、「錦」は紅葉の錦をも思わせる。
三句「手向けても」の「手向く」は神仏に供え物をする意で、「ても」は逆接の仮定である。
四句「散る紅葉葉を」は、とどめたい対象を示す。
結句「いかでとどめん」の「いかで」は、どうして、の意で、「ん」は推量の助動詞「む」である。どうしてとどめられようか、とどめられない、と反語的に嘆く。
やまひめ:山を守り治める女神
たむく:神仏に供え物をする
ちへ:幾重にも重なっていること
- 作者
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藤原顕輔
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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故郷に訪ふ人あらば紅葉葉の 散りなむ後を待てと答へよ
- 次の歌
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紅葉葉に月の光をさしそへて これやあかぢの錦なるらん