紅葉葉の散りゆく方を尋ぬれば
秋も嵐の声のみぞする
- 歌の意味
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紅葉が散ってゆく方を尋ねてゆくと、秋もまた去ってゆき、ただ嵐の音ばかりがする。
- 鑑賞
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巻第五 秋歌下 381
詞書「百首歌めしける時、九月尽の心をよませ給うける」
崇徳院が百首歌を召した折に、九月尽の題で詠んだ歌である。紅葉の散ってゆく行方を尋ね求めてゆくと、秋もまた紅葉とともに去ってゆき、ただ嵐の音ばかりが聞こえる、と詠む。紅葉の行方と秋の行方とを重ね、去りゆく秋を嵐の音のうちに聞いている。
作者の「崇徳院御製」は第七十五代の崇徳天皇である。鳥羽天皇の皇子で、保元の乱に敗れて讃岐に流された。久安百首を企て、藤原顕輔に詞花和歌集を撰ばせた。小倉百人一首にも歌が採られている。
九月尽は陰暦九月の末日で、秋の最後の日にあたる。本歌から巻末の第三百八十六首まで、秋の終わりを惜しむ歌が並ぶ。
初句「紅葉葉の」は、行方を尋ねる対象を示す。
二句「散りゆく方を」の「方」は方向、行方である。
三句「尋ぬれば」の「尋ぬ」は探し求める意で、「ば」は、〜すると、の意である。
四句「秋も嵐の」の「も」は、紅葉ばかりでなく秋も、の意で、紅葉の行方と秋の行方とを重ねる。本巻の第三百七十首第三百七十一首と同じく、嵐が紅葉を連れ去るものとして詠まれる。
結句「声のみぞする」の「ぞ」は係助詞で、「する」と連体形で結ぶ。紅葉も秋も去ったあとに、嵐の音だけが残ることを示す。
たづぬ:探し求める
かた:方向、行方
- 作者
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崇徳院
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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暮れてゆく秋をば水や誘ふらむ 紅葉流れぬ山川ぞなき
- 次の歌
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さらぬだに心細きを山里の 鐘さへ秋の暮れを告ぐなり