さらぬだに心細きを山里の
鐘さへ秋の暮れを告ぐなり
- 歌の意味
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そうでなくてさえ心細いのに、山里の寺の鐘までもが、秋の暮れを告げているのが聞こえる。
- 鑑賞
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巻第五 秋歌下 382
詞書「山寺秋暮といへる心をよみ侍りける」
「山寺秋暮」、すなわち山寺の秋の暮れという題で詠んだ歌である。何もなくても心細い山里なのに、寺の鐘までもが秋の終わりを告げるように響いてくる、と詠む。入相の鐘が一日の暮れを告げるのに重ねて、それが秋という季節の暮れをも告げていると聞いている。
作者の「前大僧正覚忠」は関白藤原忠通の子である。天台座主を務め、大僧正に至った。
本巻の第三百十一首も同じ初句「さらぬだに」で山里の寂しさを詠み、鹿の声を聞いていた。本歌は鹿の声に代えて鐘の音を聞く。
初句「さらぬだに」は、そうでなくてさえ、の意である。本巻の第三百十一首と同じ初句である。
二句「心細きを」の「を」は逆接の接続助詞で、心細いのに、の意である。
三句「山里の」は、四句の「鐘」にかかり、題の「山寺」を示す。本巻の第三百三首以来、山里の秋が重ねて詠まれる。
四句「鐘さへ秋の」の「さへ」は添加の副助詞で、鐘までもが、の意である。本巻の第三百十一首の鹿の声に対し、本歌は鐘の音を詠む。
結句「暮れを告ぐなり」の「暮れ」は一日の暮れと秋の暮れとを重ねる。「なり」は音によって判断する推定の助動詞で、告げているのが聞こえる、の意である。
つぐ:知らせる、告げる
かね:寺でつく鐘
- 作者
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覚忠
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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紅葉葉の散りゆく方を尋ぬれば 秋も嵐の声のみぞする
- 次の歌
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唐錦幣にたちもて行く秋も 今日や手向の山路越ゆらん