宿りする岩屋の床の苔むしろ
幾夜になりぬ寝こそ寝られね
- 歌の意味
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宿をとる岩屋の床の、苔の筵よ。ここで過ごして幾夜になったことか。眠ろうにも眠ることができない。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1109
詞書「大峰通り侍りける時、笙の岩屋といふ宿にて詠み侍りける」
大峰山を通って修行した時、笙の岩屋という宿所で詠んだ歌である。宿りする岩屋の床の苔の筵よ、幾夜になったことか、眠ることもできない、と詠む。大峰の山中の洞窟に籠もり、苔を筵として夜を過ごす修行の厳しさを詠んでいる。幾夜を重ねても安らかに眠ることのできない岩屋の夜の寒さと心細さが伝わる。
作者の「前大僧正覚忠」は関白藤原忠通の子である。園城寺の僧で、天台座主をつとめ、大僧正に至った。
本巻の第千百七首の四句、結句「苔の衣着てけり」と苔を共有し、ともに修行の地の苔を詠む。
初句「宿りする」は、宿をとる、の意である。
二句「岩屋の床の」は、岩の洞窟の寝床の、の意である。
三句「苔むしろ」は、苔を筵に見立てた語で、体言で句切れとなる。本巻の第千百七首の四句「岩さへ苔の」と苔を共有する。
四句「幾夜になりぬ」は、幾夜になったことか、の意で、ここでも句切れとなる。
結句「寝こそ寝られね」の「寝」は眠りの意で、「こそ」は強意の係助詞、「れ」は可能の助動詞「る」の未然形、「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形で、係り結びとなる。眠ることができない、の意である。
こけむしろ:苔を筵に見立てた語
い:眠り
おほみね:大和国の大峰山、修験道の行場
いはや:岩の洞窟
- 作者
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覚忠
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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思ひ出のあらば心もとまりなん 厭ひやすきは憂き世なりけり
- 次の歌
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身のほどを知らずと人や思ふらん かく憂きながら年を経ぬれば