世を照らす仏のしるしありければ
まだ灯火も消えぬなりけり
- 歌の意味
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世を照らす仏の霊験があるので、今もなお灯火も消えずにいるのであった。
- 鑑賞
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巻第十九 釈教歌 1211
詞書「三十三所観音拝み奉らんとて、所々参りける時、美濃の谷汲にて油の出づるを見て詠み侍りける」
三十三所の観音を拝もうと各地を巡礼した折、美濃国の谷汲で油が湧き出るのを見て詠んだ歌である。世を照らす仏の霊験があるので、まだ灯火も消えないのだ、と詠む。谷汲は華厳寺のある地で、油が湧き出て灯明が絶えないと伝えられた。仏の光が世を照らすことと、湧く油によって灯火が消えないこととを重ね、霊験への感動を詠んでいる。
作者の「前大僧正覚忠」は関白藤原忠通の子で、天台宗の僧として大僧正に至った。三十三所観音の巡礼を行ったことでも知られる。
前歌の第千二百十首と「灯火」を共有し、前歌が闇を照らせと願った法の灯火に、本歌は消えない灯火で応えている。次歌の第千二百十二首も巡礼の途上で観音を拝んで詠んだ歌である。
初句「世を照らす」は、世の中を照らす、の意で、仏の光明を言う。
二句「仏のしるし」の「しるし」は霊験、ご利益の意である。
三句「ありければ」は、あるので、の意で、理由を示す。
四句「まだ灯火も」の「まだ」は今もなお、の意で、「灯火」は湧き出る油によってともる灯明である。前歌の第千二百十首の結句「法の灯火」を受けている。
結句「消えぬなりけり」の「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形、「なり」は断定、「けり」は気づきを表す詠嘆の助動詞である。
しるし:神仏の霊験、ご利益
たにぐみ:美濃国の地名、華厳寺がある
- 作者
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覚忠
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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夢覚めんその暁を待つほどの 闇をも照らせ法の灯火
- 次の歌
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見るままに涙ぞ落つる限りなき 命に代はる姿と思へば