古典和歌stream

常磐なる青葉の山も秋来れば
色こそ変へね寂しかりけり

歌の意味
いつも緑の変わらない青葉の山も、秋が来ると、色こそ変えないけれども、寂しく見えることだ。
鑑賞
巻第四 秋歌上 273

詞書は前の歌に続き「秋の歌とてよみ侍りける」
 前歌と同じく「秋」を題として詠んだ歌である。いつも緑の変わらない常磐の青葉の山も、秋が来ると、紅葉するわけではなく色こそ変えないけれども、やはり寂しく見えることだ、と詠む。色の変化という目に見えるしるしがなくとも、秋の寂しさは常緑の山にまで及ぶことを表している。
 作者の「前大僧正覚忠」は関白藤原忠通の子で、天台宗の僧となり、天台座主、大僧正に至った。
 本巻の第二百三十二首「色は変はらで音ぞ身にしむ」も、常緑の松の色は変わらないのに秋を感じると詠んでおり、本歌と同じ趣向をとる。第二百三十二首が音によって秋を知ったのに対し、本歌は山全体の寂しさによって秋を感じている。

 初句「常磐なる」の「常磐」は、いつまでも変わらないこと、常緑であることをいう。
 二句「青葉の山も」は、青葉の茂る山も、の意で、「も」は紅葉する山と同じく、の意を含む。
 三句「秋来れば」は、秋が来ると、の意である。本巻の第二百四十二首、第二百五十七首も同じ句を用いる。
 四句「色こそ変へね」の「こそ」は係助詞で、「ね」と已然形で結び、逆接で下に続く。色こそ変えないけれども、の意となる。本巻の第二百三十二首「色は変はらで」と同じ趣向である。
 結句「寂しかりけり」の「けり」は気づきを表す。色は変わらずとも秋の寂しさは感じられると気づく心を示す。

ときは:いつまでも変わらないこと、常緑であること
作者
覚忠
出典
千載和歌集
前の歌
夕されば小野の浅茅生玉散りて 心くだくる風の音かな
次の歌
秋の夜の心を尽くすはじめとて ほのかに見ゆる夕月夜かな