帰りても入りぞわづらふ槙の戸を
惑ひ出でにし心ならひに
- 歌の意味
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帰ってきても、入るのをためらってしまう、槙の戸を。迷い出てしまった心の習い性のために。
- 鑑賞
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巻第十九 釈教歌 1219
詞書「法華経信解品の心を詠み侍りける」
法華経信解品の心を詠んだ歌である。信解品には、長者の子が幼くして家を出て諸国をさまよい、年を経て父の家に戻ってきたが、父の威勢を恐れて入ることができず、長者は方便によって次第に子を導き、ついに財宝を継がせたという、長者窮子のたとえが説かれる。帰ってきても槙の戸を入りかねる、迷い出た心の習いのために、と詠み、仏の家に戻りながら、迷いに慣れた心のためにすぐには入れない衆生の姿を窮子に託している。
作者の「前大僧正覚忠」は関白藤原忠通の子で、天台宗の僧として大僧正に至った。三十三所観音の巡礼を行ったことでも知られる。
初句「帰りても」は、父の家に帰ってきても、の意で、窮子が戻ったことを言う。
二句「入りぞわづらふ」の「わづらふ」は、…しかねる、の意で、「ぞ」は強意の係助詞、連体形の「わづらふ」で結ぶ。ここで句切れとなる。
三句「槙の戸を」の「槙の戸」は槙の板で作った戸で、ここでは長者の家、すなわち仏の家の戸を言う。倒置によって二句の「入り」の目的を示している。
四句「惑ひ出でにし」の「に」は完了、「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、迷い出てしまった、の意である。
結句「心ならひに」の「心ならひ」は心の習慣、習い性の意で、二句の入りかねるわけを示している。
まきのと:槙の板で作った戸
こころならひ:心の習慣、習い性
ぐうじ:困窮した子、信解品の長者窮子のたとえに登場する
- 作者
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覚忠
- 出典
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千載和歌集
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照る月の心の水に澄みぬれば やがてこの身に光をぞさす
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降る雪は谷の扉を埋むとも 三世の仏の日や照らすらん