降る雪は谷の扉を埋むとも
三世の仏の日や照らすらん
- 歌の意味
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降る雪が谷の庵の扉を埋めてしまっても、三世の仏の日の光が照らしていることだろう。
- 鑑賞
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巻第十九 釈教歌 1220
詞書「冬の頃、後入道法親王、高野に籠りて侍りけるに、遣はし給うける」
冬のころ、弟の覚性入道親王が高野山に籠っていたので、崇徳院が送った歌である。降る雪が谷の扉を埋めても、三世の仏の日が照らしているだろう、と詠む。雪に閉ざされた山中の修行を気遣いつつ、そこには仏の光が射しているだろうと、修行する弟を励ましている。
作者の「崇徳院御製」は、鳥羽天皇の第一皇子で第七十五代の天皇となった崇徳院の御製である。和歌を好み、『久安百首』を召し、『詞花和歌集』の撰進を命じた。保元の乱に敗れて讃岐に配流され、その地で没した。
次歌の第千二百二十一首は覚性入道親王の返しで、本歌の「三世の仏」「降る雪」「照らす」をそのまま受けて応えている。
初句「降る雪は」は、降り積もる雪は、の意である。次歌の第千二百二十一首の四句「降る雪よりも」に受け継がれる。
二句「谷の扉を」の「扉」は戸の意で、高野山の谷あいにある庵の戸を言う。
三句「埋むとも」の「とも」は逆接仮定の接続助詞で、埋めたとしても、の意である。
四句「三世の仏の」は、過去、現在、未来の仏の、の意で、次歌の第千二百二十一首の二句にそのまま受け継がれる。
結句「日や照らすらん」の「日」は仏の慈悲の光をたとえたもので、「や」は疑問の係助詞、現在推量の助動詞「らん」の連体形で結ぶ。
とぼそ:戸、扉
かうや:紀伊国の高野山、真言宗の霊場
- 作者
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崇徳院
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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帰りても入りぞわづらふ槙の戸を 惑ひ出でにし心ならひに
- 次の歌
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照らすなる三世の仏の朝日には 降る雪よりも罪や消ゆらん