照る月の心の水に澄みぬれば
やがてこの身に光をぞさす
- 歌の意味
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照る月が心の水に澄んで映ると、そのままこの身に光が射すのである。
- 鑑賞
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巻第十九 釈教歌 1218
詞書「即身成仏の心を」
即身成仏、すなわちこの身のままで仏となる、という心を詠んだ歌である。照る月が心の水に澄んで宿れば、そのままこの身に光が射す、と詠む。月は仏、また悟りをたとえ、水が澄めば月が映るように、心が清らかになれば仏の光がそのままこの身に宿ると、即身成仏の教えを月と水のたとえで詠んでいる。
作者の「前参議教長」は藤原教長である。大納言藤原忠教の子で、参議に至った。崇徳院の近臣として仕え、保元の乱に連座して配流された。能書家としても知られる。
心や身を水にたとえて月を映す趣向は、本巻の第千二百二十四首、第千二百四十首にも見え、第千二百五十首では心を鏡にたとえて色も姿も映すと詠まれる。
初句「照る月の」は、照り輝く月が、の意で、仏や悟りをたとえている。
二句「心の水に」は心を水にたとえたもので、澄んだ心を言う。本巻の第千二百二十四首の四句「水に宿る」と同じく、月を映す水によって心と身を詠んでいる。
三句「澄みぬれば」の「ぬれ」は完了の助動詞「ぬ」の已然形で、澄んだので、の意である。
四句「やがてこの身に」の「やがて」は、そのまま、すぐに、の意で、この身のままで仏となる即身成仏の心を表す。本巻の第千二百五十首の四句「やがてぞ映る」と同じ語である。
結句「光をぞさす」の「ぞ」は強意の係助詞で、連体形の「さす」で結ぶ。
そくしんじやうぶつ:この身のままで仏となること
- 作者
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藤原教長
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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はかなくぞ三世の仏と思ひける わが身ひとつにありと知らずて
- 次の歌
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帰りても入りぞわづらふ槙の戸を 惑ひ出でにし心ならひに