はかなくぞ三世の仏と思ひける
わが身ひとつにありと知らずて
- 歌の意味
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むなしくも、三世の仏を遠いものと思っていたことだ。仏はわが身ひとつの内にあるとも知らないで。
- 鑑賞
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巻第十九 釈教歌 1217
詞書「同じ百首の時、華厳経の心を詠める」
崇徳院が百首歌を召した折、華厳経の心を詠んだ歌である。三世の仏を遠いものと思っていたのははかないことだ、わが身ひとつにあるとも知らずに、と詠む。華厳経には、心と仏と衆生の三つに差別はないと説かれ、仏は自らの心の内にあるとされる。過去、現在、未来の仏を外に求めていた自分の迷いに気づいた心を詠んでいる。
作者の「前参議教長」は藤原教長である。大納言藤原忠教の子で、参議に至った。崇徳院の近臣として仕え、保元の乱に連座して配流された。能書家としても知られる。
前歌の第千二百十六首と同じ崇徳院の百首歌の折の歌である。「三世の仏」の語は、本巻の第千二百二十首、第千二百二十一首、第千二百二十八首にも見え、本歌が仏をわが身の内に見いだすのに対し、第千二百二十首と第千二百二十一首では三世の仏の光が雪を照らし罪を消すと詠まれる。
初句「はかなくぞ」の「ぞ」は強意の係助詞で、三句の連体形「ける」で結ぶ。
二句「三世の仏と」の「三世」は過去、現在、未来で、あらゆる時の仏を言う。本巻の第千二百二十首と第千二百二十一首の四句、第千二百二十八首の四句にも「三世の仏」の語が見える。
三句「思ひける」の「ける」は詠嘆の助動詞「けり」の連体形で、係り結びの結びとなる。ここで句切れとなる。
四句「わが身ひとつに」は、自分の身ひとつの内に、の意である。
結句「ありと知らずて」は、仏があるとも知らないで、の意で、倒置によって三句の思い違いのわけを示している。
みよ:過去、現在、未来の三世
けごんぎやう:大乗仏典の一つ、心と仏と衆生に差別がないことを説く
- 作者
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藤原教長
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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誓ひをば千尋の海にたとふなり 露も頼まば数に入りなん
- 次の歌
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照る月の心の水に澄みぬれば やがてこの身に光をぞさす