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ふりはへて人も訪ひ来ぬ山里は
時雨ばかりぞ過ぎがてにする

歌の意味
わざわざ訪ねて来る人もいない山里では、ただ時雨だけが、通り過ぎかねるように立ち寄ってゆく。
鑑賞
巻第六 冬歌 413

詞書は前の歌に続き「堀河院御時、百首歌たてまつりける時、時雨をよめる」
 堀河百首の時雨の題で詠んだ歌である。わざわざ訪ねて来る人もいない山里では、時雨だけが通り過ぎかねるようにして立ち寄ってゆく、と詠む。人の訪れの絶えた山里の寂しさを、たびたび降っては過ぎる時雨を訪問者に見立てることで、かえって際立たせている。
 作者の「二条太皇太后宮肥後」は、白河天皇の皇女で二条太皇太后宮と呼ばれた令子内親王に仕えた女房である。堀河百首の作者の一人である。
 第四百十一首から第四百十三首までの三首は、堀河百首の時雨の歌である。堀河百首は、堀河天皇の時代に源俊頼、藤原公実らが題を分けて百首ずつ詠んだもので、後の百首歌の規範となった。

 初句「ふりはへて」の「ふりはふ」は、わざわざ〜する意である。「ふり」には時雨の縁語として「降り」が掛けられている。
 二句「人も訪ひ来ぬ」の「ぬ」は打消しの助動詞「ず」の連体形で、訪ねて来る人もいない、の意である。
 三句「山里は」は、都を離れた山あいの里である。本巻の第四百四十八首、第四百五十七首、第四百六十二首、第四百六十八首など、冬の山里がくり返し詠まれる。
 四句「時雨ばかりぞ」の「ばかり」は限定、「ぞ」は強意の係助詞で、結句の「する」と連体形で結ぶ。
 結句「過ぎがてにする」の「がてに」は、〜しかねて、の意で、時雨が通り過ぎかねている、と時雨を人のように扱う。

ふりはふ:わざわざ〜する。「降り」を掛ける
とふ:訪ねる
すぎがてにす:通り過ぎかねる
作者
二条太皇太后宮肥後
出典
千載和歌集
前の歌
木の葉のみ散るかと思ひし時雨には 涙も堪へぬものにぞありける
次の歌
時雨れつる真屋の軒端のほどなきに やがて差し入る月の影かな