木の葉のみ散るかと思ひし時雨には
涙も堪へぬものにぞありける
- 歌の意味
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木の葉だけが散るのかと思っていた時雨には、涙もこらえきれずにこぼれるものであったのだ。
- 鑑賞
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巻第六 冬歌 412
詞書は前の歌に続き「堀河院御時、百首歌たてまつりける時、時雨をよめる」
堀河百首の時雨の題で詠んだ歌である。時雨には木の葉だけが散るものと思っていたが、涙もこらえきれずにこぼれるものであったのだ、と詠む。時雨に散る木の葉に、自分の涙を重ね合わせ、冬の時雨のもたらす物悲しさに気づいた驚きを表している。
作者の「源俊頼朝臣」は大納言源経信の子である。堀河院歌壇の中心的な歌人で、白河院の院宣を受けて金葉和歌集を撰び、歌論書「俊頼髄脳」を著した。小倉百人一首にも歌が採られている。
第四百十一首から第四百十三首までの三首は、堀河百首の時雨の歌である。堀河百首は、堀河天皇の時代に源俊頼、藤原公実らが題を分けて百首ずつ詠んだもので、後の百首歌の規範となった。
初句「木の葉のみ」の「のみ」は限定で、木の葉だけが、の意である。本巻の第四百四首、第四百五首に続き、時雨と木の葉とを結びつける。
二句「散るかと思ひし」の「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、そう思っていた、と以前の考えを示す。
三句「時雨には」は、時雨に対しては、時雨の折には、の意である。
四句「涙も堪へぬ」の「堪ふ」はこらえる意で、「ぬ」は打消しの助動詞である。涙もこらえきれない、の意で、木の葉と同じく涙も落ちることをいう。
結句「ものにぞありける」の「ぞ」は強意の係助詞で、「ける」と連体形で結ぶ。「けり」は詠嘆の助動詞で、そういうものであったのだ、と気づきを示す。
たふ:こらえる、我慢する
- 作者
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源俊頼
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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深山辺の時雨れて渡る数ごとに かことがましき玉柏かな
- 次の歌
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ふりはへて人も訪ひ来ぬ山里は 時雨ばかりぞ過ぎがてにする