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行き帰り春やあはれと思ふらん
契りし人の又も逢はねば

歌の意味
去ってはまた巡ってくる春も、しみじみと悲しいと思っているだろうか。次こそはと約束した人が、二度と会いには来ないのだから。
鑑賞
巻第九 哀傷歌 546

詞書「返し」
 前歌の具平親王の歌への返歌である。去ってはまた巡ってくる春も、しみじみと悲しいと思っているだろうか、次こそはと約束した人が二度と会いに来ないのだから、と詠む。前歌の、散った花もまた咲いたという嘆きを受け、春そのものを擬人化して、約束を果たせずに亡くなった宣方を悼んでいる。
 作者の「大納言公任」は関白太政大臣藤原頼忠の子である。権大納言に至り、四条大納言と呼ばれた。和漢朗詠集を撰び、詩歌管弦に優れた。中古三十六歌仙の一人で、小倉百人一首にも歌が採られている。
 前歌の第五百四十五首との贈答で、前歌が花は咲いたが人は帰らないと詠むのに対し、本歌は春は巡ってきたが人は来ないと応じている。
 なお本文の四句は「契りし人の」とあり、読み仮名の行の「ちりにしひとの」と一致しない。ここでは本文の表記に従う。

 初句「行き帰り」は、春が去ってはまた巡ってくることをいう。前歌の第五百四十五首の「春来れば」を受ける。
 二句「春やあはれと」の「や」は疑問の係助詞で、三句の「らん」と連体形で結ぶ。春を人のように見立て、春もしみじみと悲しく思うだろうか、の意である。前歌の「あはれ別れの」の「あはれ」を受けている。
 三句「思ふらん」の「らん」は現在推量の助動詞で、思っているだろうか、の意である。ここで句切れとなる。
 四句「契りし人の」の「契り」は約束する意、「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、約束した人、すなわち次の花見には必ず同行すると言った宣方を指す。
 結句「又も逢はねば」の「ね」は打消しの助動詞「ず」の已然形で、「ば」が付いて確定条件となり、二度と会わないので、の意である。前歌の「散りにし花も咲きにけり」と対比し、花はまた咲いても人はまた来ないことを示す。

ちぎる:約束する
ゆきかへる:去ってはまた巡ってくる
作者
藤原公任
出典
千載和歌集
前の歌
春来れば散りにし花も咲きにけり あはれ別れのかからましかば
次の歌
植ゑ置きし人の形見と見ぬだにも 宿の桜を誰か惜しまぬ