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春来れば散りにし花も咲きにけり
あはれ別れのかからましかば

歌の意味
春が来ると、散ってしまった花もまた咲いたことだ。ああ、人との別れもこのように、また巡り会えるものであったならよいのに。
鑑賞
巻第九 哀傷歌 545

詞書「花の盛りに藤原為頼などともにて、岩倉にまかれりけるを、中将宣方朝臣、などかくと侍らざりけむ、後の度だに必ず侍らんと聞こえけるを、その年中将も為頼も身まかりける、又の年かの花を見て、大納言公任のもとに遣はしける」
 花の盛りに藤原為頼らとともに洛北の岩倉へ花見に出かけたところ、中将源宣方が、どうしてこうと知らせてくれなかったのか、次の時こそは必ず同行しよう、と言ってきた。ところがその年のうちに宣方も為頼も亡くなってしまい、翌年に同じ花を見て、藤原公任のもとへ贈った歌である。春が来ると、散ってしまった花もまた咲いた、ああ、人との別れもこのようであったなら、と詠む。毎年咲きかえる花と、二度と帰らない人とを対比し、去年ともに花を見た人、次こそはと約束した人を失った悲しみを表している。為頼と宣方は、ともに長徳四年(998)に没した。
 作者の「中務卿具平親王」は村上天皇の第七皇子である。中務卿を務め、後中書王と呼ばれた。詩歌や学問に優れ、藤原公任とも親しく交わった。
 哀傷歌の巻頭の一首である。巻末の第六百五首は、ともに月を眺めた友西住を失った円位法師、すなわち西行の歌で、巻頭と巻末がともに、風雅をともにした友との死別を詠んで呼応している。次歌の第五百四十六首は、本歌に答えた公任の返歌である。

 初句「春来れば」の「来れ」は已然形で、「ば」が付いて確定条件となり、春が来ると、の意である。次歌の第五百四十六首の「行き帰り春や」と、巡ってくる春で応じ合う。
 二句「散りにし花も」の「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形、「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、去年散ってしまった花も、の意である。散った花に、亡くなった人を重ねている。
 三句「咲きにけり」の「けり」は気づきの詠嘆で、また咲いたことだ、の意である。ここで句切れとなる。
 四句「あはれ別れの」の「あはれ」は感動詞で、ああ、の意である。「別れ」は為頼と宣方との死別をいう。次歌の第五百四十六首は「春やあはれと」とこの「あはれ」を受けて返している。
 結句「かからましかば」の「かから」は「かくあら」のつづまった形で、このようである、の意である。「ましか」は反実仮想の助動詞「まし」の未然形で、「ば」が付いて、このようであったならば、の意となり、よかったのに、という結びを言いさして余情を残す。

いはくら:山城国愛宕郡の地で、洛北の岩倉
まかる:行く、出かける
みまかる:死ぬ、亡くなる
作者
具平親王
出典
千載和歌集
前の歌
岩根踏み峰の椎柴折り敷きて 雲に宿借る夕暮の空
次の歌
行き帰り春やあはれと思ふらん 契りし人の又も逢はねば