落ちたぎつ八十宇治川の早き瀬に
岩越す波は千代の数かも
- 歌の意味
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激しく逆巻いて流れ落ちる宇治川の早瀬で、岩を越えていく波の数は、千代の数を表しているのであろうか。
- 鑑賞
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巻第十 賀歌 615
詞書「京極の前太政大臣の高陽院の家の歌合に、祝ひの心を詠み侍りける」
京極前太政大臣藤原師実の邸である高陽院で催された歌合で、祝いの心を詠んだ歌である。激しく流れ落ちる宇治川の早瀬で岩を越す波は、千代の数なのであろうか、と詠む。絶え間なく打ち寄せては岩を越す無数の波を、数え切れない千代の年数に見立て、主の長寿を祝っている。宇治は師実の父頼通が平等院を営んだ摂関家ゆかりの地である。この歌合は寛治八年(1094)の高陽院七番歌合である。
作者の「源俊頼朝臣」は大納言源経信の子である。堀河院歌壇の中心として活躍し、白河院の命で金葉和歌集を撰んだ。家集に「散木奇歌集」がある。小倉百人一首にも歌が採られている。
次歌の第六百十六首は師実自身の歌で、本歌の宇治川に対して賀茂の斎院の有栖川を詠み、川に寄せて祝う二首が並んでいる。
初句「落ちたぎつ」の「たぎつ」は水が激しく逆巻いて流れる意で、激しく流れ落ちる、の意である。
二句「八十宇治川の」の「八十宇治川」は宇治川の美称で、多くの氏の意の「八十氏」から「宇治」を導く言い回しによる。
三句「早き瀬に」は、流れの早い瀬で、の意である。
四句「岩越す波は」は、岩を越えていく波は、の意で、絶え間なく続く波の数を結句へ導く。
結句「千代の数かも」の「かも」は詠嘆をこめた疑問で、千代の数を表すのであろうか、の意である。
たぎつ:水が激しく逆巻いて流れる
うたあはせ:左右に分かれて歌の優劣を競う催し
- 作者
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源俊頼
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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神代より久しかれとや動きなき 岩根に松の種を蒔きけん
- 次の歌
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千早ぶる斎の宮の有栖川 松とともにぞ影はすむべき