なほざりに三輪の杉とは教へおきて
尋ぬる時は逢はぬ君かな
- 歌の意味
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いいかげんに、三輪の杉が目印だなどと教えておいて、いざ訪ねていく時には逢ってくれないあなたであることだ。
- 鑑賞
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巻第十三 恋歌三 794
詞書「法性寺入道内大臣に侍りける時の歌合に、尋ね失ふ恋といへる心を詠める」
法性寺入道藤原忠通が内大臣であった時の歌合で、「尋ね失ふ恋」、すなわち訪ねていっても相手を見失う恋という題で詠んだ歌である。いいかげんに三輪の杉が目印と教えておいて、訪ねていく時には逢わないあなたであることだ、と詠む。古今集のよみ人しらずの歌「わが庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門」を本歌とし、恋しければ杉の立つ門を訪ねよと誘っておきながら、いざ訪ねると逢ってくれない相手を恨んでいる。
作者の「藤原時昌」は平安時代後期の官人、歌人である。経歴の詳細は多く伝わらない。詞書の「法性寺入道内大臣」は藤原忠通で、のちに摂政、関白、太政大臣を務めて出家し、法性寺入道と呼ばれた。
初句「なほざりに」は、いいかげんに、本気でなく、の意である。
二句「三輪の杉とは」の「三輪」は大和国の三輪山で、古今集の「わが庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門」を踏まえ、杉の立つ門を住まいの目印とする。
三句「教へおきて」は、教えておいて、の意で、相手が自分から住まいを教えたことを示す。
四句「尋ぬる時は」は、いざ訪ねていく時には、の意で、題の「尋ね」を示す。
結句「逢はぬ君かな」の「かな」は詠嘆の終助詞で、逢ってくれないあなたであることだ、と題の「失ふ」を示して相手を恨む。
みわ:大和国の三輪山
たづぬ:探し求めて訪れる
- 作者
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藤原時昌
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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我が恋は海人の刈る藻に乱れつつ 乾く時なき波の下草
- 次の歌
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頼めこし野辺の道芝夏深し いづくなるらん鵙の草茎