年経れどあはれに堪へぬ涙かな
恋しき人のかからましかば
- 歌の意味
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年月が経っても、しみじみとした思いに堪えきれずにこぼれる涙であることよ。恋しいあの人も、このようであったならばよいのに。
- 鑑賞
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巻第十五 恋歌五 939
詞書は前の歌に続き「百首歌召しける時、恋の歌とて詠ませ給うける」
前歌と同じ百首歌の恋の歌である。年が経ってもあわれに堪えきれない涙であることよ、恋しい人もこのようであったならば、と詠む。長い年月が過ぎても、恋しさのあまりこぼれる涙は止まらないのに、恋しい人の方は少しも心を動かしてくれない。せめてあの人もこのように涙を流してくれたならと、結句を言いさして、報われない恋の思いを余韻に残している。
作者の「左京大夫顕輔」は藤原顕輔である。修理大夫藤原顕季の子で、左京大夫を務め、崇徳院の命で詞花和歌集を撰んだ。六条藤家の歌学の基礎を築き、小倉百人一首にも歌が採られている。
本巻の第九百三十七首と同じ初句「年経れど」で始まる。第九百三十七首が年を経ても変わらない身と相手のつらさを詠むのに対し、本歌は年を経ても変わらずこぼれる涙を詠む。また次歌の第九百四十首「落つる涙か」と、涙を詠む歌が続く。
初句「年経れど」は、年月が経っても、の意で、已然形に「ど」が付いた逆接の確定条件である。本巻の第九百三十七首の初句と同じ句である。
二句「あはれに堪へぬ」の「あはれ」はしみじみとした思い、「堪へ」は堪える意、「ぬ」は打消しの助動詞「ず」の連体形で、しみじみとした思いに堪えきれない、の意である。
三句「涙かな」の「かな」は詠嘆の終助詞で、涙であることよ、の意である。ここで句切れとなる。次歌の第九百四十首の結句「落つる涙か」と応じる。
四句「恋しき人の」は、恋しいあの人が、の意である。
結句「かからましかば」の「かから」はこのようである意の「かかり」の未然形、「ましか」は反実仮想の助動詞「まし」の未然形で、「ば」が付いて、このようであったならば、の意となる。後に続く、どんなにうれしかろう、の意を言いさしている。
たふ:堪える、こらえる
- 作者
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藤原顕輔
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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嘆く間に鏡の影も衰へぬ 契りしことの変はるのみかは
- 次の歌
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今はただ押さふる袖も朽ち果てて 心のままに落つる涙か