古典和歌stream

今はただ押さふる袖も朽ち果てて
心のままに落つる涙か

歌の意味
今はもう、涙を押さえる袖さえもすっかり朽ち果ててしまって、心のおもむくままにこぼれ落ちる涙であることよ。
鑑賞
巻第十五 恋歌五 940

詞書は前の歌に続き「百首歌召しける時、恋の歌とて詠ませ給うける」
 前の二首と同じ百首歌の恋の歌である。今はもう押さえる袖も朽ち果てて、心のままに落ちる涙であることよ、と詠む。人目を忍んで涙を袖で押さえてきたが、長く涙に濡れ続けた袖はついに朽ち果ててしまい、もはや涙をせき止めるものもなく思いのままに流れ落ちると、抑えきれなくなった恋の悲しみを表している。
 作者の「藤原季通朝臣」は権大納言藤原宗通の子である。箏や琵琶など管絃にすぐれ、歌人としても知られた。
 本巻の第九百五首「音を泣けば袖は朽ちても」と同じく、涙に袖が朽ちることを詠む。また前歌の第九百三十九首「涙かな」、第九百四十二首「涙にも」と、涙を詠む歌が続いている。

 初句「今はただ」は、今となってはもう、ただ、の意である。
 二句「押さふる袖も」の「押さふ」は涙を押さえとどめる意で、涙を押さえる袖も、の意である。本巻の第九百五首の二句「袖は朽ちても」と共通する。
 三句「朽ち果てて」は、すっかり朽ちてしまって、の意である。本巻の第九百十五首の結句「朽ち果てぬらん」と同じ語である。
 四句「心のままに」は、心の思うままに、抑えるものもなく、の意である。
 結句「落つる涙か」の「か」は詠嘆の終助詞で、落ちる涙であることよ、の意である。前歌の第九百三十九首の三句「涙かな」と応じる。

おさふ:押さえとどめる
くちはつ:すっかり朽ちる
作者
藤原季通
出典
千載和歌集
前の歌
年経れどあはれに堪へぬ涙かな 恋しき人のかからましかば
次の歌
奥山の岩垣沼のうきぬなは 深きこひぢに何乱れけん